京都:東寺と観智院 [ふらり旅・イベント]
今日から相方くんがお盆休みに入ります。
ブログ訪問滞ることが増えると思いますので、コメント等もお気遣いなく^^
*
東寺にやってきました。
日差しが強くて歩くのもけっこう辛いw
でも久しぶりの京都だったから、やっぱり東寺には来たかったのだ。
藤森神社→伏見稲荷大社→東寺という因縁絡めて記事にしてきたけど……まぁホントは此処の講堂内にいらっしゃる立体曼荼羅の仏像に会いたかったのさ!
【パンフレットより】
イケメンの帝釈天さんと再会したかったのさ!
【パンフレットより】
樹齢120年の不二桜を眺めながら境内を散策。講堂を目指します。
講堂でたっぷり立体曼荼羅を楽しみ、その次に金堂で薬師如来さま、日光菩薩&月光菩薩、十二神将を愛でます。有り難い気持ちになるねえ。
五重塔あたりもウロウロ。
空海さんが稲荷山から持ってきた木材で建てられた五重塔は焼失していて、現在見ることが出来るのは正保元年(1644)のものです。
それにしても、稲荷山の神聖さを見てきたからさぁ〜。やっぱりあそこから無断で木々を持ってきたら稲荷神マジで怒るって。祟るってww
食堂では夏の催しとして特別展が開催されていました。
SETSUO KANO「MUJO」展です。
https://toji.or.jp/exhibition/2022_summer_jikido/
水性マジックペンで無常の世界を描いてましたよ。
めちゃめちゃ大きな作品で、圧倒されたよー。いろいろな妖怪なども描かれていました。8月22日までだそうです。
*
東寺の次は、東寺一山の勧学院である観智院も見学することに。
(今で言う大学の研究室みたいなもの)
ここを訪れるのは初めてだわ。
写真撮影が出来るのは庭だけだったので、建物内の写真は無いけど素晴らしかった!
襖絵も目を奪われるものばかり。
そして宮本武蔵が描いた「鷲の図」と「竹林の図」がありました。えええ!武蔵ってば、こんな素敵な図を描けたの!ってビックリです。
本堂の五大虚空蔵菩薩は、日本っぽくない仏像。説明書きを読むと唐で作られたものみたいだわ。孔雀の上に鎮座している虚空蔵菩薩を眺めてぼんやりしました。愛染明王もカッコ良かったな。
気になる人は公式サイトで中の様子をどうぞ。
https://toji.or.jp/guide/kanchiin/
とても落ち着いた雰囲気の場所で、のんびりしました。
靴を脱いで畳の上に座れたのも良かった^^
なにせ伏見稲荷大社の登拝の疲れが響いております(笑)
時間を見るとそろそろ15時。
ホテルにチェックインする時間だねえ。長々記事を書いているので忘れていると思うけど、この日は親戚の結婚式前日なのです(笑)
次回、ホテルの部屋の様子と夜ご飯です。
ブログ訪問滞ることが増えると思いますので、コメント等もお気遣いなく^^
*
東寺にやってきました。
日差しが強くて歩くのもけっこう辛いw
でも久しぶりの京都だったから、やっぱり東寺には来たかったのだ。
藤森神社→伏見稲荷大社→東寺という因縁絡めて記事にしてきたけど……まぁホントは此処の講堂内にいらっしゃる立体曼荼羅の仏像に会いたかったのさ!
【パンフレットより】
イケメンの帝釈天さんと再会したかったのさ!
【パンフレットより】
樹齢120年の不二桜を眺めながら境内を散策。講堂を目指します。
講堂でたっぷり立体曼荼羅を楽しみ、その次に金堂で薬師如来さま、日光菩薩&月光菩薩、十二神将を愛でます。有り難い気持ちになるねえ。
五重塔あたりもウロウロ。
空海さんが稲荷山から持ってきた木材で建てられた五重塔は焼失していて、現在見ることが出来るのは正保元年(1644)のものです。
それにしても、稲荷山の神聖さを見てきたからさぁ〜。やっぱりあそこから無断で木々を持ってきたら稲荷神マジで怒るって。祟るってww
食堂では夏の催しとして特別展が開催されていました。
SETSUO KANO「MUJO」展です。
https://toji.or.jp/exhibition/2022_summer_jikido/
水性マジックペンで無常の世界を描いてましたよ。
めちゃめちゃ大きな作品で、圧倒されたよー。いろいろな妖怪なども描かれていました。8月22日までだそうです。
*
東寺の次は、東寺一山の勧学院である観智院も見学することに。
(今で言う大学の研究室みたいなもの)
ここを訪れるのは初めてだわ。
写真撮影が出来るのは庭だけだったので、建物内の写真は無いけど素晴らしかった!
襖絵も目を奪われるものばかり。
そして宮本武蔵が描いた「鷲の図」と「竹林の図」がありました。えええ!武蔵ってば、こんな素敵な図を描けたの!ってビックリです。
本堂の五大虚空蔵菩薩は、日本っぽくない仏像。説明書きを読むと唐で作られたものみたいだわ。孔雀の上に鎮座している虚空蔵菩薩を眺めてぼんやりしました。愛染明王もカッコ良かったな。
気になる人は公式サイトで中の様子をどうぞ。
https://toji.or.jp/guide/kanchiin/
とても落ち着いた雰囲気の場所で、のんびりしました。
靴を脱いで畳の上に座れたのも良かった^^
なにせ伏見稲荷大社の登拝の疲れが響いております(笑)
時間を見るとそろそろ15時。
ホテルにチェックインする時間だねえ。長々記事を書いているので忘れていると思うけど、この日は親戚の結婚式前日なのです(笑)
次回、ホテルの部屋の様子と夜ご飯です。
京都:cafe ゆるりでランチをして東寺へ [お店(その他)]
伏見稲荷大社の参拝後、当初の計画では此処から少し歩いたところにある『ラーメントリトン』を考えていました。でもね、その距離すら疲れてしまってねぇ(笑)
踏切を渡ったとき、ふと目に入ってきたカフェ。
『cafe ゆるり』って書いてあります。看板を見るとマイルドなカレーが載っていました。正直、もう歩きたくなかったので此処に入っちゃおうか!
店内の入口に「猫が居ます」って書かれていたので俄然やる気が出た(笑)
落ち着いた雰囲気の店内^^
猫ちゃんハウスがあったけど、その中には居ませんでした。
まあ、こればっかりは猫の都合なので仕方ない。
本日のカレーは「マイルドバターチキンカレー」だったので、それをいただきます。
カレーが出てくるまでの少しの時間、のんびりのんびり。ラーメン屋だったら落ち着かなかっただろうから、カフェに入って正解だな。
おおお、美味しそうなカレーが出てきた♪
レーズンも付いてる^^
本当にマイルドなカレーで癒されます。
食後の珈琲を飲みながらまったり^^
女性店主さんに「今日は猫は居ないんですね」って聞いたら、奥の部屋で寝てますってw
うちにも猫が居て……って話をして、起動していた Webカメラで寝ているあおくんを見せました(笑)
猫好きさんは安心しますって言って笑ってました^^
良いお店だったなー。美味しかったなー。
元気が出て、駅に向かいます。このあと京都駅に戻って、東寺を目指したよ。
*
てくてく歩いていると、渋いセブンイレブン発見。
さすが京都。町並みに合わせているのね。(ガラスに五重塔が映ってます)
見えてきました。東寺の五重塔。
久しぶりだな〜。前に此処を訪れたのは 2009 年。
お、サギ(?)が居るぞ。
ふと門の上を見上げると、鳥の彫刻が。
……こんなの前からあったっけ?
ズームしてみたら、生きてるサギでしたw
もっと混雑していると思った東寺。ガラガラです。
祇園祭の季節だから、みんな八坂神社に行ってるのかなあ?
次回、東寺の写真をいくつか載せますね♪
踏切を渡ったとき、ふと目に入ってきたカフェ。
『cafe ゆるり』って書いてあります。看板を見るとマイルドなカレーが載っていました。正直、もう歩きたくなかったので此処に入っちゃおうか!
店内の入口に「猫が居ます」って書かれていたので俄然やる気が出た(笑)
落ち着いた雰囲気の店内^^
猫ちゃんハウスがあったけど、その中には居ませんでした。
まあ、こればっかりは猫の都合なので仕方ない。
本日のカレーは「マイルドバターチキンカレー」だったので、それをいただきます。
カレーが出てくるまでの少しの時間、のんびりのんびり。ラーメン屋だったら落ち着かなかっただろうから、カフェに入って正解だな。
おおお、美味しそうなカレーが出てきた♪
レーズンも付いてる^^
本当にマイルドなカレーで癒されます。
食後の珈琲を飲みながらまったり^^
女性店主さんに「今日は猫は居ないんですね」って聞いたら、奥の部屋で寝てますってw
うちにも猫が居て……って話をして、起動していた Webカメラで寝ているあおくんを見せました(笑)
猫好きさんは安心しますって言って笑ってました^^
良いお店だったなー。美味しかったなー。
元気が出て、駅に向かいます。このあと京都駅に戻って、東寺を目指したよ。
*
てくてく歩いていると、渋いセブンイレブン発見。
さすが京都。町並みに合わせているのね。(ガラスに五重塔が映ってます)
見えてきました。東寺の五重塔。
久しぶりだな〜。前に此処を訪れたのは 2009 年。
お、サギ(?)が居るぞ。
ふと門の上を見上げると、鳥の彫刻が。
……こんなの前からあったっけ?
ズームしてみたら、生きてるサギでしたw
もっと混雑していると思った東寺。ガラガラです。
祇園祭の季節だから、みんな八坂神社に行ってるのかなあ?
次回、東寺の写真をいくつか載せますね♪
伏見稲荷大社:本当にいろんな社がありました [ふらり旅・イベント]
京都、伏見稲荷大社登拝の記事に戻るにゃ〜。
今日は一気に駆け抜けて、伏見稲荷大社記事を終わりにするよ!
稲荷山で今回の記事になるのはこの丸の場所です。
さすがに地図の一番左にある清滝社まで行くことは断念しましたorz...
(まじでヘロヘロだったw)
この辺に来ると、朱い鳥居、そして沢山のお塚。カメラを持っていた相方くんは、私の趣味に付き合って登拝しているので景色に飽きてきた模様。写真があまりありません。私は1〜2枚スマホでパチリして、あとは相方くんに任せていたので同じく写真があまり無い。
おせき社を参拝して、石井社、そして薬力社に到着。
ここには沢山の草履が奉納されてました。足腰に御利益があると言われるのは、たたら踏みで足をやられてしまった神様が祀られているから。
稲荷神がもともとは鉄の神様だと実感した私の目にはそう映る^^
このあとは坂道を下って御膳谷奉拝所に向かうか、それとも傘杉社などがある方面に向かうか、一瞬悩んだんだけど(疲れてたからw)、やっぱり奥も見てこよう!
傘杉社や天龍社を参拝します。
こっちの道は見事に誰も居ませんでした。鳥の鳴き声は聞こえます。
人の気配はなく、静かな空間。
神様にジーっと見られているような気がしたよ(笑) マジでww
ここの狐さん。稲荷山から麓にある本殿や拝殿に集まる人たちを見下ろすように立っていました。めっちゃカッコイイ狐さんだった!
パチリしてる様子を撮られていた。
首に巻いたタオルは青森のリンゴ柄なのよ。(関係ないってw)
稲荷山全体に群生する杉の木。これがご神木で、神の依り代でもある。
そんな杉の神様を祀る傘杉社。
自然と厳粛な気持ちになります。杉から光が出ているような写真に撮れていたわ。
でも本当にそんな感じだったのよ。
「瀧」「金」などの名前が付いた神様が祀られている社。鍛冶屋絡みだとみた!
そして御膳谷奉拝所まで降りてくると、神職さんが奉拝所に入っていくところでした。
此処は、稲荷山三ヶ峯の裏背後にあたる場所。
御饗殿(みあえどの)や御竈殿(みかまどの)があって神供したところと伝えられているそうな。今でも神様に御日供(おにっく=神様への食事)をお供えしてるんだって。
この周辺の狐さん。
苔むした感じが、長い時を感じさせるね。
何回も記事に書いているけど、本当に本当に人々の思いを感じる場所なんだなって思いました。
そして眼力社に到着。
たたら製鉄は片目で炉の火を見るので、視力を失ってしまった神々を祀るのさ。
妖怪の一つ目小僧も、一本足の傘オバケ(一本だたら)も、そんなたたら製鉄で身体を壊してしまった人を表しているんだよ。
参拝最後は大杉社。ここも杉。
稲荷は本当に、杉・杉・杉……これの意味するところをもっと調べないと駄目だなと実感。まだうまく自分の中に落ちてこない。
でも何故杉じゃなくて、竹を咥えた狐なのかはもっと謎(笑)
お山を一周して、四ツ辻の茶屋『仁志むら亭』に戻ってきました!!
まじで疲れたよ〜。足がガクガクだよ〜。もう一度ここで休憩です。
行きにビタミンレモンを飲んだとき、メニューに「ひやしあめ」というのを見つけていたの。クラフトコーラの記事を書いたとき、関西在住ゆきちさんが「冷やしあめ」ってコメントを残してくれていて、それが気になっていたんですよ。
ひやしあめって、関東では聞かないから注文してみよう!
でも休憩処を利用するためには、一人一品注文しないと駄目なの。相方くんはトコロテンにするって。味が黒蜜と酢醤油と抹茶味があったんだけど、悩んで酢醤油にしてました。
これがひやしあめ!
飲んでみると水飴?? ネットで調べると、麦芽水飴をお湯で溶いて、生姜の絞り汁を加えて冷やした飲み物なんだね。身体に優しい味がします。
相方くんのところてん。食べさせて貰ったら酢醤油が身体の隅々まで行き渡って疲れが癒えていくっ!
ドラクエの宿屋の音楽が脳内を流れたw
結局私が食べちゃいました(笑)
「ホントは黒蜜にしようかと思ったけど、そしたら絶対リュカは食べないからね。酢醤油にして正解だったよ」ってさ。分かってるな〜もぅ!ww
お酢 LOVE !!!!(相方くんは酸っぱいモノはちょっと…いや、結構苦手w)
店内には狐の置物が。可愛くて欲しかったけど、移動してて壊しても嫌なので諦めました。
茶屋を出て下界 (笑) を眺める。
下りの階段で、足はガクガクだったけど降りてきました。
舗装されていない道はごく一部だったけど、石段まじでキツかったな〜。黒猫ちゃんが「よく頑張って登拝してきたにゃ。出口はこっちだにゃ」と案内してくれました。
行きにご挨拶した白狐社や奥宮に戻ってきました。
ここもすごく神聖な場所なのに。行きは神聖だと感じていたのに。お山して稲荷の奥深さを知ったら、とても日常な場所に感じてしまった。神様ごめんなさいww
そのくらい凄かった稲荷山です。
境内に入ってから出るまで、3 時間掛かっていました。足はガクガクしてるけど、次の目的地は東寺!
五重塔建設のために稲荷山から勝手に木材調達した空海さんに会いに行ってくるよw
でもその前に何かお昼ご飯を食べなくてはっ
なにせこの時点は時間は 12 時半です。
***
と、こんな感じで伏見稲荷大社のお話しは終わりです。
次は夜に見た祇園祭の話まで、お気楽旅記事になると思いますよ〜^^
祇園祭の牛頭天王(スサノオさん)では、またいろいろ語るかもw
(かも、じゃなくて語るんだけどねw)
今日は一気に駆け抜けて、伏見稲荷大社記事を終わりにするよ!
稲荷山で今回の記事になるのはこの丸の場所です。
さすがに地図の一番左にある清滝社まで行くことは断念しましたorz...
(まじでヘロヘロだったw)
この辺に来ると、朱い鳥居、そして沢山のお塚。カメラを持っていた相方くんは、私の趣味に付き合って登拝しているので景色に飽きてきた模様。写真があまりありません。私は1〜2枚スマホでパチリして、あとは相方くんに任せていたので同じく写真があまり無い。
おせき社を参拝して、石井社、そして薬力社に到着。
ここには沢山の草履が奉納されてました。足腰に御利益があると言われるのは、たたら踏みで足をやられてしまった神様が祀られているから。
稲荷神がもともとは鉄の神様だと実感した私の目にはそう映る^^
このあとは坂道を下って御膳谷奉拝所に向かうか、それとも傘杉社などがある方面に向かうか、一瞬悩んだんだけど(疲れてたからw)、やっぱり奥も見てこよう!
傘杉社や天龍社を参拝します。
こっちの道は見事に誰も居ませんでした。鳥の鳴き声は聞こえます。
人の気配はなく、静かな空間。
神様にジーっと見られているような気がしたよ(笑) マジでww
ここの狐さん。稲荷山から麓にある本殿や拝殿に集まる人たちを見下ろすように立っていました。めっちゃカッコイイ狐さんだった!
パチリしてる様子を撮られていた。
首に巻いたタオルは青森のリンゴ柄なのよ。(関係ないってw)
稲荷山全体に群生する杉の木。これがご神木で、神の依り代でもある。
そんな杉の神様を祀る傘杉社。
自然と厳粛な気持ちになります。杉から光が出ているような写真に撮れていたわ。
でも本当にそんな感じだったのよ。
「瀧」「金」などの名前が付いた神様が祀られている社。鍛冶屋絡みだとみた!
そして御膳谷奉拝所まで降りてくると、神職さんが奉拝所に入っていくところでした。
此処は、稲荷山三ヶ峯の裏背後にあたる場所。
御饗殿(みあえどの)や御竈殿(みかまどの)があって神供したところと伝えられているそうな。今でも神様に御日供(おにっく=神様への食事)をお供えしてるんだって。
この周辺の狐さん。
苔むした感じが、長い時を感じさせるね。
何回も記事に書いているけど、本当に本当に人々の思いを感じる場所なんだなって思いました。
そして眼力社に到着。
たたら製鉄は片目で炉の火を見るので、視力を失ってしまった神々を祀るのさ。
妖怪の一つ目小僧も、一本足の傘オバケ(一本だたら)も、そんなたたら製鉄で身体を壊してしまった人を表しているんだよ。
参拝最後は大杉社。ここも杉。
稲荷は本当に、杉・杉・杉……これの意味するところをもっと調べないと駄目だなと実感。まだうまく自分の中に落ちてこない。
でも何故杉じゃなくて、竹を咥えた狐なのかはもっと謎(笑)
お山を一周して、四ツ辻の茶屋『仁志むら亭』に戻ってきました!!
まじで疲れたよ〜。足がガクガクだよ〜。もう一度ここで休憩です。
行きにビタミンレモンを飲んだとき、メニューに「ひやしあめ」というのを見つけていたの。クラフトコーラの記事を書いたとき、関西在住ゆきちさんが「冷やしあめ」ってコメントを残してくれていて、それが気になっていたんですよ。
ひやしあめって、関東では聞かないから注文してみよう!
でも休憩処を利用するためには、一人一品注文しないと駄目なの。相方くんはトコロテンにするって。味が黒蜜と酢醤油と抹茶味があったんだけど、悩んで酢醤油にしてました。
これがひやしあめ!
飲んでみると水飴?? ネットで調べると、麦芽水飴をお湯で溶いて、生姜の絞り汁を加えて冷やした飲み物なんだね。身体に優しい味がします。
相方くんのところてん。食べさせて貰ったら酢醤油が身体の隅々まで行き渡って疲れが癒えていくっ!
ドラクエの宿屋の音楽が脳内を流れたw
結局私が食べちゃいました(笑)
「ホントは黒蜜にしようかと思ったけど、そしたら絶対リュカは食べないからね。酢醤油にして正解だったよ」ってさ。分かってるな〜もぅ!ww
お酢 LOVE !!!!(相方くんは酸っぱいモノはちょっと…いや、結構苦手w)
店内には狐の置物が。可愛くて欲しかったけど、移動してて壊しても嫌なので諦めました。
茶屋を出て下界 (笑) を眺める。
下りの階段で、足はガクガクだったけど降りてきました。
舗装されていない道はごく一部だったけど、石段まじでキツかったな〜。黒猫ちゃんが「よく頑張って登拝してきたにゃ。出口はこっちだにゃ」と案内してくれました。
行きにご挨拶した白狐社や奥宮に戻ってきました。
ここもすごく神聖な場所なのに。行きは神聖だと感じていたのに。お山して稲荷の奥深さを知ったら、とても日常な場所に感じてしまった。神様ごめんなさいww
そのくらい凄かった稲荷山です。
境内に入ってから出るまで、3 時間掛かっていました。足はガクガクしてるけど、次の目的地は東寺!
五重塔建設のために稲荷山から勝手に木材調達した空海さんに会いに行ってくるよw
でもその前に何かお昼ご飯を食べなくてはっ
なにせこの時点は時間は 12 時半です。
***
と、こんな感じで伏見稲荷大社のお話しは終わりです。
次は夜に見た祇園祭の話まで、お気楽旅記事になると思いますよ〜^^
祇園祭の牛頭天王(スサノオさん)では、またいろいろ語るかもw
(かも、じゃなくて語るんだけどねw)
今日はあおくんで休憩記事 [うちの猫あお・うみ]
「ブログばかり書いてないで、ボクの相手をするにゃ〜!」
あおくんに怒られたので、今日は旅記事じゃありません。
ブラシにぐりぐり顔をこすりつけて気持ちよさそう^^
「これが気持ち良いんだにゃ〜♪」
もしかしたら明日も手抜き記事かもしれませんw
旅記事は資料読み直してから書くから 5〜6時間かかるんだもん。今日の記事は画像加工入れても5分 (笑)
でもみんなもコッチのほうが気楽に読めるねww
*
相方くんの職場に来ていた女スパイ。
アメリカに帰っていきました。
お土産にガラスペンを贈ったら、お礼にお酒をくれました。
日本で自分好みの日本酒を探していたらしいんだけど、なかなか見つからなかったんだって。
奥多摩方面に行ったときに美味しいのに出会えましたと、買ってきてくれたよ。
澤乃井の柚子酒です^^
ありがたく飲ませて貰うよ。ありがとう^^
あおくんに怒られたので、今日は旅記事じゃありません。
ブラシにぐりぐり顔をこすりつけて気持ちよさそう^^
「これが気持ち良いんだにゃ〜♪」
もしかしたら明日も手抜き記事かもしれませんw
旅記事は資料読み直してから書くから 5〜6時間かかるんだもん。今日の記事は画像加工入れても5分 (笑)
でもみんなもコッチのほうが気楽に読めるねww
*
相方くんの職場に来ていた女スパイ。
アメリカに帰っていきました。
お土産にガラスペンを贈ったら、お礼にお酒をくれました。
日本で自分好みの日本酒を探していたらしいんだけど、なかなか見つからなかったんだって。
奥多摩方面に行ったときに美味しいのに出会えましたと、買ってきてくれたよ。
澤乃井の柚子酒です^^
ありがたく飲ませて貰うよ。ありがとう^^
伏見稲荷山:御劔社の雷石 [ふらり旅・イベント]
伏見稲荷大社登拝。あちこちの塚にこんなふうにお供え物をしているのをよく見かけました。神様へのお供えなんだろうけど、猫が多かったので猫が食べてるのかな? ^m^
さて。山頂での参拝を済ませてこのあとは稲荷山のあちこちにある社(やしろ)を参拝しながら下山します。
ここからは下り。人は殆ど居ません。
そして人のかわりに虫がいっぱい飛んでる(笑)
一応登山用の格好をしていたので、腕まくりしていた長袖を元に戻して、タオルを首に巻いてガード。そして鞄から虫除けスプレーを取り出す! 準備はOK !
顔を蚊に食われたら翌日の結婚式に支障が出るからねって思って、顔にスプレーをかけたら目に入って「ぎゃーーー!」ってなりました。相方くんに「バカだね」って言われたわ。
山頂にある一ノ峰上社を少し下ったところにあるのが春繁社。公式サイトにも紹介されていないので詳細は不明だけど、磐座(いわくら=神が宿る岩石)を祀っている落ち着いた雰囲気の社です。もともとは社なんて無く、純粋に磐座だけを祀っていたんだろうな。秦氏が来る前から稲荷山はあったに違いないもの。
さらに下る。若干写真がブレている感じで、ヘロヘロになっていることが伝わるかしら(笑)
本当に稲荷山はお塚がすごい。
お塚とは「稲荷大神様に別名をつけて信仰する人々が、石にそのお名前を刻んで、お山に奉納したもの」です。いろいろな人の願いや思い、感謝が溢れているんだろうなあ。
この狐さんの近くには溶接会社が奉納した鳥居がありました。
ということは、御劔社も近い?なんて思ってしまったww
御劔社(みつるぎしゃ)に到着。別名は長者社。秦伊侶具(いろぐ)を長者にしてるからその名前のようですわ。稲荷山にある神蹟の中でも古いものだって。公式サイトにも「稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。」と書いてある。もうこの時点で稲荷がもともとは「鋳成り」だったのは決定だよ!(笑)
ここには「賀茂玉依姫」が祭神として祀られているよ。ああ、やっぱり賀茂が出てきちゃった(笑)
田中社に祀られていた賀茂建角身神の娘です。川で拾った丹塗りの矢を持ち帰って、床に刺していたら妊娠して賀茂別雷神を産んだという話です。賀茂玉依姫は火の神とも云われてるよ。
此処には雷石と井戸があるはずなの。探す!と、先に行く私が中央にチラリと写っております(笑)
この井戸が「焼刃(やいば)の水」と呼ばれる霊水。能の謡曲「小鍛冶」で宗近が稲荷山の埴土(はにつち=粘土質の土)と、この霊水を焼刃に合わせ用いたと言われてるんだって。
最近だと明治元年に、名工宮本包則が稲荷山に籠もって作刀したそうな。その石碑もあるみたいだけど気づかなかった^^;
さらに石段を上って見つけた!雷石(御劔石)!!
その昔。この岩に雷が落ちたので、神がその雷をこの岩に封じ込め、縄で縛ったという伝えのある石。
雷と火、そして水。ここの一帯には、とんでもない神様が鎮まっている気がしました。
ちょっと圧倒されちゃったな。
お塚もたくさんある独特の雰囲気。これが稲荷山なんだね。
千本鳥居だけじゃないんだよ。
薬力の滝行場というのもありました。
毒気を抜かれて次の社(やしろ)へ向かいますよっ!
さて。山頂での参拝を済ませてこのあとは稲荷山のあちこちにある社(やしろ)を参拝しながら下山します。
ここからは下り。人は殆ど居ません。
そして人のかわりに虫がいっぱい飛んでる(笑)
一応登山用の格好をしていたので、腕まくりしていた長袖を元に戻して、タオルを首に巻いてガード。そして鞄から虫除けスプレーを取り出す! 準備はOK !
顔を蚊に食われたら翌日の結婚式に支障が出るからねって思って、顔にスプレーをかけたら目に入って「ぎゃーーー!」ってなりました。相方くんに「バカだね」って言われたわ。
山頂にある一ノ峰上社を少し下ったところにあるのが春繁社。公式サイトにも紹介されていないので詳細は不明だけど、磐座(いわくら=神が宿る岩石)を祀っている落ち着いた雰囲気の社です。もともとは社なんて無く、純粋に磐座だけを祀っていたんだろうな。秦氏が来る前から稲荷山はあったに違いないもの。
さらに下る。若干写真がブレている感じで、ヘロヘロになっていることが伝わるかしら(笑)
本当に稲荷山はお塚がすごい。
お塚とは「稲荷大神様に別名をつけて信仰する人々が、石にそのお名前を刻んで、お山に奉納したもの」です。いろいろな人の願いや思い、感謝が溢れているんだろうなあ。
この狐さんの近くには溶接会社が奉納した鳥居がありました。
ということは、御劔社も近い?なんて思ってしまったww
御劔社(みつるぎしゃ)に到着。別名は長者社。秦伊侶具(いろぐ)を長者にしてるからその名前のようですわ。稲荷山にある神蹟の中でも古いものだって。公式サイトにも「稲荷山の三つの峰と同じように、古くからの神祭りの場であったようです。」と書いてある。もうこの時点で稲荷がもともとは「鋳成り」だったのは決定だよ!(笑)
ここには「賀茂玉依姫」が祭神として祀られているよ。ああ、やっぱり賀茂が出てきちゃった(笑)
田中社に祀られていた賀茂建角身神の娘です。川で拾った丹塗りの矢を持ち帰って、床に刺していたら妊娠して賀茂別雷神を産んだという話です。賀茂玉依姫は火の神とも云われてるよ。
此処には雷石と井戸があるはずなの。探す!と、先に行く私が中央にチラリと写っております(笑)
この井戸が「焼刃(やいば)の水」と呼ばれる霊水。能の謡曲「小鍛冶」で宗近が稲荷山の埴土(はにつち=粘土質の土)と、この霊水を焼刃に合わせ用いたと言われてるんだって。
最近だと明治元年に、名工宮本包則が稲荷山に籠もって作刀したそうな。その石碑もあるみたいだけど気づかなかった^^;
さらに石段を上って見つけた!雷石(御劔石)!!
その昔。この岩に雷が落ちたので、神がその雷をこの岩に封じ込め、縄で縛ったという伝えのある石。
雷と火、そして水。ここの一帯には、とんでもない神様が鎮まっている気がしました。
ちょっと圧倒されちゃったな。
お塚もたくさんある独特の雰囲気。これが稲荷山なんだね。
千本鳥居だけじゃないんだよ。
薬力の滝行場というのもありました。
毒気を抜かれて次の社(やしろ)へ向かいますよっ!
京都の稲荷山:三ノ峰から一ノ峰までの参拝 [ふらり旅・イベント]
「たまには、うみの顔を見せるにゃ〜」
うみの写真を1枚だけ載せて、伏見稲荷大社の続きなのです(笑)
休憩後に目指したのは三ノ峰・下社です。
この辺になると、私はゼーゼーはーはー言って写真を撮る余裕は無し。相方くんもさすがにちょっと疲れてきたのか、写真はあまり撮ってません。
なので、いきなり三ノ峰下社に到着!(笑)
三ノ峰は祠の下に竪穴式石室が残ると言われています。
秦氏が祀った一ノ峰から三ノ峰には古墳があるのだそう。そしてこの竪穴式石室からは、明治26年(1893)に二神二獣鏡と捩文鏡が出土しているみたいです。
三ノ峰下社に祀られているのは白菊大神で、今は稲荷大社の主祭神になっているウカノミタマ(宇迦之御魂神)のこと。
もしも古墳の石室に眠っていた人物が居たとして、その人物が秦氏の関係者だとするなら、その古墳の上にウカノミタマは祀らない気がする。朝廷によって鉄の神から穀物の神に変えられたということなのかなーと思っちゃいました。
でも何故白菊大神という名前なのかは謎だ。石室から出てきたのは鏡だけだったようなので、石棺は無かったのかな。調査がどんな状況だったのかは想像するしかない。
(国立国会図書館のデータベースで検索してみたんだけど、該当する書物・論文が見つからなかった。明治時代のものは難しい??)
さて、次の社に向かいます!
少し歩いて見えてきたのは間ノ峰、荷田社。
荷田氏は秦氏の後裔みたい。この荷田氏に伝わる『稲荷大明神流記』によると、稲荷神の名前は「龍頭太」と言うんだそうな。山神であり、水神、龍神、雷神でもあったらしいよ。そして空海が修行中に出会ったという話もあるのだ。
ここの荷田社の鳥居は、全国でも2社しかない珍しい形の鳥居です。
奴彌(ぬね)鳥居って言うんだって。もう一つは、同じく京都にある錦天満宮の日之出稲荷神社とのこと。参拝したことのない神社です。
奴彌鳥居の特徴は、額束に合掌形の破風扠首束(はふさすづか)をはめ込んだ形となっているところらしいよ。額束部分に八の字の屋根っぽいのが付いてるのね。
鳥居部分の名称は下図↓を参照してくださいマセ。
荷田社の石造の鳥居は1917年(大正6年)に建てられたものらしく、わざわざ奴彌鳥居にするのだからちゃんと意味があるんだろうけど、そもそも奴彌鳥居そのものの云われを書いたものが見つけられませんでした。私が持っている神社本庁の本を見ても無かったんだよねえ。ただ、山王鳥居のような感じなら、山にまつわる神様がいることを表してるんだろうか?(山王鳥居は山王信仰の象徴)
さて。お次は二ノ峰を目指すよ!
上りの石段はキツイよぉぉぉ!(笑)
さらにゼーゼーと息を切らして到着したのが二ノ峰・中社です。
公式サイトを見ても、そっけないくらい「ここは青木大神と崇められています。」という一文で紹介が終わっている中社^^;
ちなみに二ノ峰からはニ神ニ獣鏡と変形四獣鏡が見つかっているんだって。他の資料によると青木大神は本殿では佐田彦大神として祀られてる猿田彦のこと。馴染みのある神様の名前に変えられちゃってるねぇ(笑)
青木大神かぁ〜。青々とした針葉樹の木?
そういえば公式サイトに「お稲荷さんのご神木は杉」って書いてあったな。伏見稲荷大社の「初午大祭」でも杉が関係しているわ。杉はスサノオさんにも絡んでくるんだよね。日本書紀に「ひげを抜いて撒いたら杉が成った」っていう箇所がある。青木大神=スサノオさんですか?w
お次はいよいよ山頂にある一ノ峰・上社を目指します。
石段がまじできつくて、足が前に進まない。最後は相方くんが私の背中を押して石段を上ってくれましたよ(笑)
あああ!見えたぁ〜! 一ノ峰・上社!!
嬉しい。山頂って書いてあるっ
ここからは自力で頑張って上って参拝します。
一ノ峰にも古墳はあったんだけど、応仁の乱でほぼ全壊しちゃったようです。応仁の乱の凄まじさを実感しちゃいました。ここに祀られているのは末広大神という名前。この塚が建てられる前から信仰されてきた神様と公式サイトに書いてあるけど……うーん、謎の神様だなあ。
応仁の乱で戦場になった稲荷社。古墳が破壊され、おそらく存在したであろう縁起に関する資料も焼失してしまったのが悔やまれるね。戦争はホンッとやめてほしい! 戦争ダメ!
末広大神に初めましてのご挨拶をして「これからもいろいろ調べさせて下さい」って言ってきましたw
*
此処に神を祀った秦伊侶具(いろぐ)。餅を的に見立てて射られた餅は白鳥と化して山の頂上に飛び去る。それを追っていくと、白鳥が降り立ったところに稲が生じていた。そこに伊侶具は三柱の神を祀り、それが稲荷大社の始まりと書かれている山城国風土記。
じつは山陰地方にも似た伝承があるそうな。金屋子神(鍛冶屋に信仰される神で一般には女神と言われる)が白鷺に乗って飛来したっていうもの。各地で金屋子神は鍛冶の指導をおこなったとされてるんだって。もしも伊侶具(いろぐ)の餅=白鳥=金屋子神なら、生じたのは稲じゃなくて鉄だよね。山の中に稲って不自然。
末広大神は本殿で祀られている大宮能売大神(アマテラスの侍女)と言うことになってるので女神。末広大神=金屋子神でも良いわけかぁ。。。
そんな妄想をして一ノ峰・上社をあとにします。
さあ、このあとはまだまだある社(やしろ)を参拝していくぞ!
うみの写真を1枚だけ載せて、伏見稲荷大社の続きなのです(笑)
休憩後に目指したのは三ノ峰・下社です。
この辺になると、私はゼーゼーはーはー言って写真を撮る余裕は無し。相方くんもさすがにちょっと疲れてきたのか、写真はあまり撮ってません。
なので、いきなり三ノ峰下社に到着!(笑)
三ノ峰は祠の下に竪穴式石室が残ると言われています。
秦氏が祀った一ノ峰から三ノ峰には古墳があるのだそう。そしてこの竪穴式石室からは、明治26年(1893)に二神二獣鏡と捩文鏡が出土しているみたいです。
三ノ峰下社に祀られているのは白菊大神で、今は稲荷大社の主祭神になっているウカノミタマ(宇迦之御魂神)のこと。
もしも古墳の石室に眠っていた人物が居たとして、その人物が秦氏の関係者だとするなら、その古墳の上にウカノミタマは祀らない気がする。朝廷によって鉄の神から穀物の神に変えられたということなのかなーと思っちゃいました。
でも何故白菊大神という名前なのかは謎だ。石室から出てきたのは鏡だけだったようなので、石棺は無かったのかな。調査がどんな状況だったのかは想像するしかない。
(国立国会図書館のデータベースで検索してみたんだけど、該当する書物・論文が見つからなかった。明治時代のものは難しい??)
さて、次の社に向かいます!
少し歩いて見えてきたのは間ノ峰、荷田社。
荷田氏は秦氏の後裔みたい。この荷田氏に伝わる『稲荷大明神流記』によると、稲荷神の名前は「龍頭太」と言うんだそうな。山神であり、水神、龍神、雷神でもあったらしいよ。そして空海が修行中に出会ったという話もあるのだ。
ここの荷田社の鳥居は、全国でも2社しかない珍しい形の鳥居です。
奴彌(ぬね)鳥居って言うんだって。もう一つは、同じく京都にある錦天満宮の日之出稲荷神社とのこと。参拝したことのない神社です。
奴彌鳥居の特徴は、額束に合掌形の破風扠首束(はふさすづか)をはめ込んだ形となっているところらしいよ。額束部分に八の字の屋根っぽいのが付いてるのね。
鳥居部分の名称は下図↓を参照してくださいマセ。
荷田社の石造の鳥居は1917年(大正6年)に建てられたものらしく、わざわざ奴彌鳥居にするのだからちゃんと意味があるんだろうけど、そもそも奴彌鳥居そのものの云われを書いたものが見つけられませんでした。私が持っている神社本庁の本を見ても無かったんだよねえ。ただ、山王鳥居のような感じなら、山にまつわる神様がいることを表してるんだろうか?(山王鳥居は山王信仰の象徴)
さて。お次は二ノ峰を目指すよ!
上りの石段はキツイよぉぉぉ!(笑)
さらにゼーゼーと息を切らして到着したのが二ノ峰・中社です。
公式サイトを見ても、そっけないくらい「ここは青木大神と崇められています。」という一文で紹介が終わっている中社^^;
ちなみに二ノ峰からはニ神ニ獣鏡と変形四獣鏡が見つかっているんだって。他の資料によると青木大神は本殿では佐田彦大神として祀られてる猿田彦のこと。馴染みのある神様の名前に変えられちゃってるねぇ(笑)
青木大神かぁ〜。青々とした針葉樹の木?
そういえば公式サイトに「お稲荷さんのご神木は杉」って書いてあったな。伏見稲荷大社の「初午大祭」でも杉が関係しているわ。杉はスサノオさんにも絡んでくるんだよね。日本書紀に「ひげを抜いて撒いたら杉が成った」っていう箇所がある。青木大神=スサノオさんですか?w
お次はいよいよ山頂にある一ノ峰・上社を目指します。
石段がまじできつくて、足が前に進まない。最後は相方くんが私の背中を押して石段を上ってくれましたよ(笑)
あああ!見えたぁ〜! 一ノ峰・上社!!
嬉しい。山頂って書いてあるっ
ここからは自力で頑張って上って参拝します。
一ノ峰にも古墳はあったんだけど、応仁の乱でほぼ全壊しちゃったようです。応仁の乱の凄まじさを実感しちゃいました。ここに祀られているのは末広大神という名前。この塚が建てられる前から信仰されてきた神様と公式サイトに書いてあるけど……うーん、謎の神様だなあ。
応仁の乱で戦場になった稲荷社。古墳が破壊され、おそらく存在したであろう縁起に関する資料も焼失してしまったのが悔やまれるね。戦争はホンッとやめてほしい! 戦争ダメ!
末広大神に初めましてのご挨拶をして「これからもいろいろ調べさせて下さい」って言ってきましたw
*
此処に神を祀った秦伊侶具(いろぐ)。餅を的に見立てて射られた餅は白鳥と化して山の頂上に飛び去る。それを追っていくと、白鳥が降り立ったところに稲が生じていた。そこに伊侶具は三柱の神を祀り、それが稲荷大社の始まりと書かれている山城国風土記。
じつは山陰地方にも似た伝承があるそうな。金屋子神(鍛冶屋に信仰される神で一般には女神と言われる)が白鷺に乗って飛来したっていうもの。各地で金屋子神は鍛冶の指導をおこなったとされてるんだって。もしも伊侶具(いろぐ)の餅=白鳥=金屋子神なら、生じたのは稲じゃなくて鉄だよね。山の中に稲って不自然。
末広大神は本殿で祀られている大宮能売大神(アマテラスの侍女)と言うことになってるので女神。末広大神=金屋子神でも良いわけかぁ。。。
そんな妄想をして一ノ峰・上社をあとにします。
さあ、このあとはまだまだある社(やしろ)を参拝していくぞ!
伏見稲荷大社登拝:四ツ辻で休憩ですっ [ふらり旅・イベント]
伏見稲荷大社登拝。
熊鷹社を出発して、三ツ辻に出て、そこから三徳社を目指します。
三徳社は衣食住を司るとも言われてるし、三つの願いを叶えてくれるとも言われてるんだって。
私は本殿で「いろいろ探らせてもらいます」と宣言してるので、願い事はしません。ひたすら「初めましてっ!登拝に来ました!」って挨拶しまくっているだけですww
ふと見ると京都の町並み。
ここから四ツ辻を目指すのですが……石段が思った以上に足腰につらい(笑)
四ツ辻までの石段約400段。清少納言も『枕草子』で此処の場所のことを書いているんだって。朝一番でお山を目指したけど途中で歩けなくなったのが、ちょうどこの辺りみたいです。
清少納言のような文才はないけど、清少納言よりは体力はあるはず!w
ひーひー言いながら石段を上っていったよ。
でもさすがに限界。暑くて心臓もバコバコ言ってるー!
四ツ辻に到着したとき「もうダメ。休憩する」と言ってしまったわ ^-^;
ここから山頂へのルートからちょっとだけ外れる「荒神峰田中社」までは頑張った。
田中社の主祭神は田中大神、権太夫大神、または賀茂建角身尊(熊野の八咫烏とも言われる)とのこと。
出た!かもたけつのみのみこと!!
「賀茂」ですよ、「賀茂!」って言っても多分ぞわぞわする人は少ないと思うので割愛。賀茂氏のことも書くと永遠にブログが終わらないから^^;
今回は秦氏だけにしておく。
此処には神蹟(しんせき)がありました。神蹟とは、かつて社(やしろ)があったけど廃絶してしまった旧跡のことです。応仁の乱で稲荷山のあちこちにあった社はことごとく焼失したのよ。
さて、四ツ辻に戻ってきました!
休憩するー!!そうじゃないと死ぬーーー!
『仁志むら亭』で相方くんはソフトクリーム。
私は甘いものは無理。というわけでビタミンレモン^^
ぷはー! 生き返るぅぅぅ!
酸っぱいもの最高!
さて、次の目的地は……いよいよ三ノ峰下社です。
三ノ峰、二ノ峰、山頂の一ノ峰を参拝してから、眼力社や大杉社などを回って帰るルートにしたのだ。
石段はまだ続く。
頑張りますっ (>_<)
熊鷹社を出発して、三ツ辻に出て、そこから三徳社を目指します。
三徳社は衣食住を司るとも言われてるし、三つの願いを叶えてくれるとも言われてるんだって。
私は本殿で「いろいろ探らせてもらいます」と宣言してるので、願い事はしません。ひたすら「初めましてっ!登拝に来ました!」って挨拶しまくっているだけですww
ふと見ると京都の町並み。
ここから四ツ辻を目指すのですが……石段が思った以上に足腰につらい(笑)
四ツ辻までの石段約400段。清少納言も『枕草子』で此処の場所のことを書いているんだって。朝一番でお山を目指したけど途中で歩けなくなったのが、ちょうどこの辺りみたいです。
清少納言のような文才はないけど、清少納言よりは体力はあるはず!w
ひーひー言いながら石段を上っていったよ。
でもさすがに限界。暑くて心臓もバコバコ言ってるー!
四ツ辻に到着したとき「もうダメ。休憩する」と言ってしまったわ ^-^;
ここから山頂へのルートからちょっとだけ外れる「荒神峰田中社」までは頑張った。
田中社の主祭神は田中大神、権太夫大神、または賀茂建角身尊(熊野の八咫烏とも言われる)とのこと。
出た!かもたけつのみのみこと!!
「賀茂」ですよ、「賀茂!」って言っても多分ぞわぞわする人は少ないと思うので割愛。賀茂氏のことも書くと永遠にブログが終わらないから^^;
今回は秦氏だけにしておく。
此処には神蹟(しんせき)がありました。神蹟とは、かつて社(やしろ)があったけど廃絶してしまった旧跡のことです。応仁の乱で稲荷山のあちこちにあった社はことごとく焼失したのよ。
さて、四ツ辻に戻ってきました!
休憩するー!!そうじゃないと死ぬーーー!
『仁志むら亭』で相方くんはソフトクリーム。
私は甘いものは無理。というわけでビタミンレモン^^
ぷはー! 生き返るぅぅぅ!
酸っぱいもの最高!
さて、次の目的地は……いよいよ三ノ峰下社です。
三ノ峰、二ノ峰、山頂の一ノ峰を参拝してから、眼力社や大杉社などを回って帰るルートにしたのだ。
石段はまだ続く。
頑張りますっ (>_<)
伏見稲荷大社:秦氏が祀った稲荷神 [ふらり旅・イベント]
今回、稲荷山登拝するにあたって、事前に伏見稲荷大社に電話をしてました。
コロナ禍でしょう。実際、奈良の三輪山は今現在登拝中止だもんね。
万一稲荷山に登れませんってことになったら予定がすべて狂うから。(晴れ女なので、雨で登れないかもという想定はしていない)
「23日に稲荷山の山頂まで参拝に行こうと思ってるのですが、入山できますか?」
「はい、大丈夫です(関西弁のイントネーション)」
「今の季節、京都は暑いですよね?」
「蒸し暑い日が続いてますので、気をつけてお詣りください(関西弁&イントネーション)」
おだやかな関西弁でしたが、関西弁を話せないので標準語で書きました ^m^
でもこれで稲荷山には行けることが分かったので一安心♪
こういう事前確認が大事なんですよ!藤村ちゃん!(どうでしょうファンしか分からない)
千本鳥居、最初は緩やかに下っていきます。朝早いので、まだ人はそんなに多くないです。
ちなみに千本鳥居っていう名称で呼ばれてるけど、実際は一万基を超えてるらしいです。
稲荷大社の沿革は公式サイトに詳しく書かれていて、神社側の考察も交えて興味深く読めます。
『山城国風土記』によると、山城地方に住み着き、富み栄えていた秦氏。その長である伊侶具(いろぐ)が、餅を的に見立てて弓を射るの。射られた餅は白鳥と化して山の頂上に飛び去ってしまった。それを追っていくと、白鳥が降り立ったところに稲が生じていたそうな。ここに三柱の神を祀ったのが稲荷大社の始まりとされてるとのこと。
なんだか良く分からない話よね。(解説は後日の記事でw)
秦氏は教科書にはあまり出てこないかもしれないけど、歴史上ではいろんなところに影響を与えている氏族。藤森神社創建の話に出てきた神功皇后。彼女が三韓征伐に出たのが、秦氏が渡来してくるきっかけにもなったとか。百済地方出身と思われます。
秦氏族の本拠地は右京の太秦。松尾大社を祀っている氏族。この分家にあたると思われる伊侶具(いろぐ)が稲荷神を奉ったようです。
そして秦氏は製鉄技術を持って日本に来た氏族なのだ。
さらに、稲荷山の一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰には古墳があったんだって。これが秦氏以前のものか、秦氏のものか、それは謎。でも古墳時代の年代を考えると秦氏の可能性が高そう。なら稲荷神は農耕の神以前に鉄の神ってことになるよねえ。農耕が発展したのは鉄具がいろいろ作られるようになってからだもの。
その後、記紀が書かれるようになった8世紀頃までには、農耕神としての存在の方が大きくなって、その後商売繁盛やら何やらでも信仰されるようになったんだね。
というわけで、今回の稲荷山は「鉄の神様・稲荷神」に挨拶をするのだ!という目的で登拝なのっ!
てくてく歩いていると「根上がりの松」という名前の松がありました。
商売をしてる人や証券会社に関係のある人たちには「値が上がるのを待つ」という縁起の良い松として信仰されてるそうな。
それとは別に、松の根元をくぐったり木の肌を撫でると腰や膝の痛みが治るという言い伝えがあるんだって。最初は「値上がり」よりも、こっちのほうが先だったろうね。製鉄といえば「たたら製鉄」だもん。ジブリ映画の『もののけ姫』にも出てくるたたら製鉄。踏み鞴(ふいご)で足腰を痛めてしまった人たちからの信仰があったんじゃないかな。
さらに歩いていると、鳥居から出たところに小さな赤い社(やしろ)が見えるぞ。
行ってみよう!
其処には「神道御徳社本部」と書かれた看板がありました。なんだかとっても怪しい雰囲気。
家に帰ってきてから調べてみたら、伏見稲荷大社とは別の宗教団体みたい。なんでそんなものが? って思ったら、明治時代に政府が土地を取り上げた(上知令)ことがあって、伏見稲荷大社もその対象になったの。でも政府は管理しきれなくて、その間に塚やら何やらが勝手に建てられたんだって。その後土地は伏見稲荷大社に返されたけど、既に作られた建造物を壊すわけにもいかず、今に至っているようです。
写真中央の猫ちゃんに癒やされて、千本鳥居に戻りました。
さらに鳥居を進みます。そこは石段がずっと続く上り道。気温がどんどん上がっているのが分かります。じんわり汗が出てきて、マスクで呼吸もつらい。会話もしないのでマスクから鼻だけ出したわ ^^;
新池(こだま池)が見えてきました。ここは拍手を打ったときに響いたほうで人捜しをする池なんだとか。江戸時代に造られた農業用溜池なんだって。
場所で言うとこのへん。稲荷山山頂までは、まだまだ先は長いよ。
周りにはこんなふうにいろんな塚があって、多くの人に信仰されているんだなあ〜と眺めました。
此処には熊鷹社があります。
もともとは稲荷山三ノ峰を遙拝する場所だったみたい。熊鷹社に関しての詳しいことは割愛。興味があったら調べてみてねww
ココのしめ縄は稲穂なので要チェックですよ!
ぜぇぜぇ息を切らして下を向いていると見過ごしちゃうよ(笑)
熊鷹社の正面にあった売店の自販機でお茶を買う。
ぐびぐび飲んでいると、息を切らして上ってきたお兄さんが売店の人に「山頂まであとどのくらいですかね」って聞いてます。
売店のお姉さん、「まだまだ 1/5 ってところですよ」と、しれっと答えてました。
うん。私は知っている。この先がまだまだ長いことを!
ちゃんと野帳に地図を貼ってきたから!(笑)
石段の道ってつらいんだよね。。。でも今日は絶対山頂に行くって決めてるから頑張る。
私が息を切らしていても、体力バカの相方クンはまだ元気いっぱい。
登拝はまだ始まったばかりなのです。。。
明日の記事はお気楽記事だよ〜
コロナ禍でしょう。実際、奈良の三輪山は今現在登拝中止だもんね。
万一稲荷山に登れませんってことになったら予定がすべて狂うから。(晴れ女なので、雨で登れないかもという想定はしていない)
「23日に稲荷山の山頂まで参拝に行こうと思ってるのですが、入山できますか?」
「はい、大丈夫です(関西弁のイントネーション)」
「今の季節、京都は暑いですよね?」
「蒸し暑い日が続いてますので、気をつけてお詣りください(関西弁&イントネーション)」
おだやかな関西弁でしたが、関西弁を話せないので標準語で書きました ^m^
でもこれで稲荷山には行けることが分かったので一安心♪
こういう事前確認が大事なんですよ!藤村ちゃん!(どうでしょうファンしか分からない)
千本鳥居、最初は緩やかに下っていきます。朝早いので、まだ人はそんなに多くないです。
ちなみに千本鳥居っていう名称で呼ばれてるけど、実際は一万基を超えてるらしいです。
稲荷大社の沿革は公式サイトに詳しく書かれていて、神社側の考察も交えて興味深く読めます。
『山城国風土記』によると、山城地方に住み着き、富み栄えていた秦氏。その長である伊侶具(いろぐ)が、餅を的に見立てて弓を射るの。射られた餅は白鳥と化して山の頂上に飛び去ってしまった。それを追っていくと、白鳥が降り立ったところに稲が生じていたそうな。ここに三柱の神を祀ったのが稲荷大社の始まりとされてるとのこと。
なんだか良く分からない話よね。(解説は後日の記事でw)
秦氏は教科書にはあまり出てこないかもしれないけど、歴史上ではいろんなところに影響を与えている氏族。藤森神社創建の話に出てきた神功皇后。彼女が三韓征伐に出たのが、秦氏が渡来してくるきっかけにもなったとか。百済地方出身と思われます。
秦氏族の本拠地は右京の太秦。松尾大社を祀っている氏族。この分家にあたると思われる伊侶具(いろぐ)が稲荷神を奉ったようです。
そして秦氏は製鉄技術を持って日本に来た氏族なのだ。
さらに、稲荷山の一ノ峰、二ノ峰、三ノ峰には古墳があったんだって。これが秦氏以前のものか、秦氏のものか、それは謎。でも古墳時代の年代を考えると秦氏の可能性が高そう。なら稲荷神は農耕の神以前に鉄の神ってことになるよねえ。農耕が発展したのは鉄具がいろいろ作られるようになってからだもの。
その後、記紀が書かれるようになった8世紀頃までには、農耕神としての存在の方が大きくなって、その後商売繁盛やら何やらでも信仰されるようになったんだね。
というわけで、今回の稲荷山は「鉄の神様・稲荷神」に挨拶をするのだ!という目的で登拝なのっ!
てくてく歩いていると「根上がりの松」という名前の松がありました。
商売をしてる人や証券会社に関係のある人たちには「値が上がるのを待つ」という縁起の良い松として信仰されてるそうな。
それとは別に、松の根元をくぐったり木の肌を撫でると腰や膝の痛みが治るという言い伝えがあるんだって。最初は「値上がり」よりも、こっちのほうが先だったろうね。製鉄といえば「たたら製鉄」だもん。ジブリ映画の『もののけ姫』にも出てくるたたら製鉄。踏み鞴(ふいご)で足腰を痛めてしまった人たちからの信仰があったんじゃないかな。
さらに歩いていると、鳥居から出たところに小さな赤い社(やしろ)が見えるぞ。
行ってみよう!
其処には「神道御徳社本部」と書かれた看板がありました。なんだかとっても怪しい雰囲気。
家に帰ってきてから調べてみたら、伏見稲荷大社とは別の宗教団体みたい。なんでそんなものが? って思ったら、明治時代に政府が土地を取り上げた(上知令)ことがあって、伏見稲荷大社もその対象になったの。でも政府は管理しきれなくて、その間に塚やら何やらが勝手に建てられたんだって。その後土地は伏見稲荷大社に返されたけど、既に作られた建造物を壊すわけにもいかず、今に至っているようです。
写真中央の猫ちゃんに癒やされて、千本鳥居に戻りました。
さらに鳥居を進みます。そこは石段がずっと続く上り道。気温がどんどん上がっているのが分かります。じんわり汗が出てきて、マスクで呼吸もつらい。会話もしないのでマスクから鼻だけ出したわ ^^;
新池(こだま池)が見えてきました。ここは拍手を打ったときに響いたほうで人捜しをする池なんだとか。江戸時代に造られた農業用溜池なんだって。
場所で言うとこのへん。稲荷山山頂までは、まだまだ先は長いよ。
周りにはこんなふうにいろんな塚があって、多くの人に信仰されているんだなあ〜と眺めました。
此処には熊鷹社があります。
もともとは稲荷山三ノ峰を遙拝する場所だったみたい。熊鷹社に関しての詳しいことは割愛。興味があったら調べてみてねww
ココのしめ縄は稲穂なので要チェックですよ!
ぜぇぜぇ息を切らして下を向いていると見過ごしちゃうよ(笑)
熊鷹社の正面にあった売店の自販機でお茶を買う。
ぐびぐび飲んでいると、息を切らして上ってきたお兄さんが売店の人に「山頂まであとどのくらいですかね」って聞いてます。
売店のお姉さん、「まだまだ 1/5 ってところですよ」と、しれっと答えてました。
うん。私は知っている。この先がまだまだ長いことを!
ちゃんと野帳に地図を貼ってきたから!(笑)
石段の道ってつらいんだよね。。。でも今日は絶対山頂に行くって決めてるから頑張る。
私が息を切らしていても、体力バカの相方クンはまだ元気いっぱい。
登拝はまだ始まったばかりなのです。。。
明日の記事はお気楽記事だよ〜
伏見稲荷大社への参拝 [ふらり旅・イベント]
藤森神社をあとにして、伏見稲荷大社にやってきました。
全国に鎮座する稲荷社の総本宮!
天長4年(827年)淳和天皇の時代に「従五位下」の神階を贈られ、その後、朱雀天皇より最高位の「正一位」という神階を与えられたのが、天慶5年 (942年) です。
なぜ、淳和天皇は今まで位階のなかった稲荷神に神階を与えたのか。
じつは稲荷神に祟られたからなのだ!(笑)
ここにも出てくる空海さんww
空海が東寺に五重塔を建てたとき、稲荷山から大量の木材を無断で調達しちゃったんです。そりゃ稲荷神も怒るよ!
五重塔建設を許した淳和天皇は病に臥せてしまい、原因を占うと稲荷神が祟ってると神託が出たのだ。慌てた淳和天皇は稲荷神に神階を授けて、怒りを鎮めてもらったの。
相方クンにこの話をすると「声をあげたもんの勝ちだね。今の世の中と変わらないな」って苦笑い。祟った稲荷神はその後、平将門や藤原純友が叛乱をおこしたときに朝廷が稲荷にすがったので願いを叶えてあげた。将門たちの調伏に協力して、最高位の「正一位」を得たというわけ。
今回、藤森神社・伏見稲荷大社・東寺を見て回ったのは、こんなふうにそれぞれが絡む場所だったからなのでした^^
藤森神社は伏見稲荷に土地を奪われ、そして伏見稲荷は東寺に木材を採られ祟るw
(一番の黒幕は空海さん!?(笑))
さて。訪れた日は7月の本宮祭が開かれているときでした。
こういうときに来られることって滅多にないので嬉しいな。
応仁元年(1467年)に起こった応仁の乱で消失してしまった社殿。
豊臣秀吉の時代に楼門などが造営され、社殿も修復。今見ることができる社殿などは明応8年(1499年)のものみたいだね。
立派な社殿や鳥居は大勢の人の信仰があった証。それは間違いないよね。
外拝殿にはたくさんの絵が飾られていました。どうやら日本画家などが奉納した行灯画のようですわ。本宮祭のあいだ、こんな感じで展観されているみたい。
境内のあちこちに狐さんが居ます。
お稲荷さんというと狐さんを浮かべるだろうけど、狐は神様じゃありませんよ。眷属ですから^^
稲穂を咥えた狐さん。シッポには宝珠らしきものが乗ってます。
でも、稲荷の神様が本来は製鉄を意味するのなら、これは燃える炎を纏った玉鋼?
伏見稲荷大社のホームページにもチラリとそれを匂わせるような記載があるの。能の謡曲「小鍛冶」のことが触れられてるのだ。それはこのあと登拝する場所の1つ、御劔社での記述。
謡曲「小鍛冶」がどんな内容なのか私は見たことがないんだけど、あらすじを検索してみると以下のような感じ。
一条天皇の命により、勅使の橘道成は、刀匠として名高い三條小鍛冶宗近(さんじょうのこかじむねちか)のもとを訪れ、剣を打つよう命じます。宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れないって言うの。でも道成は聞き入れない。困った宗近は氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣したのね。そしたら稲荷明神の化身の少年が現れて、その少年に相鎚してもらって、無事に剣を鍛え上げることが出来た──という話。
平家が三種の神器を持って壇ノ浦で滅亡したとき。
安徳天皇は壇ノ浦の海に消え、剣だけは回収出来なかった。そのあと即位した後鳥羽上皇は三種の神器が揃わないまま即位。そんな後鳥羽上皇の刀が鍛えられたとき、稲荷山の土を採って用いられたという説が鍛冶屋の間では語り継がれて、稲荷信仰のもとにもなってるんだそうな。
京都はもともと刃物作りに適している場所なんだって。
出雲地方の砂鉄や玉鋼、伏見稲荷周辺の土(稲荷山・大阪層群中の粘土)、鳴滝の砥石、丹波の松炭、良質な水。それが容易に入手できる土地だったみたい。
穀物の神様だけではない側面がびしびし見えてます。
本殿でご挨拶。(人も多かったので写真は無し)
今日は稲荷山登拝に来ました! いろいろ探らせて(笑)もらいますってちゃんと宣言w
本殿に向かって左側にある鳥居を目指します。
ここが私にとっては稲荷参拝の本当の入口。一礼して足を踏み入れます。
鳥居をくぐって正面には「玉山稲荷社」
宮中に祀られていたんだけど、京都から東京に遷都したので 1974年 (明治7) に戻ってきた社なんだそうな。
その右奥にあるのが奥宮。見た目は摂社っぽいんだけど摂社でも末社でもなく、稲荷大神を祀った別格の社。1499年の『明応遷宮記録』によると、当時は八間の回廊があったらしいんだけど、今は無いです。
隣には末社の「白狐社」がありますよ。
稲荷大神の眷属を祀る唯一の社。狐の夫婦で、夫は小薄(おすすき)、妻は阿古町(あこまち)って言います。
「これからお山してきます」とご挨拶して出発!
(お山する = 稲荷山に登り、これらの神蹟やお塚を巡拝すること)
いよいよ千本鳥居を通りながら、稲荷山山頂を目指します。
いろいろ調べたことをメモした測量野帳を手にして GO! ですよ。
写真撮影がメインの人は、ここでたくさん写真を撮るんだろうけど、私の目的は違うのでどんどん進みます。相方クンが撮ってくれた写真を載せますね。
伏見稲荷大社に参拝して祈りや願いが聞き届けられ、そして感謝の念で奉納される鳥居。
江戸時代に始まったものだそうです。この時代にはもう五穀豊穣だけでなく、商売繁盛などの神様として信仰されていたんだろうね。
***
長くなりました。
覚書 & 自分の頭を整理するために書いているので、これからもこんな記事が続きます。
読むのが面倒だったらスルーしてくださいね^^
全国に鎮座する稲荷社の総本宮!
天長4年(827年)淳和天皇の時代に「従五位下」の神階を贈られ、その後、朱雀天皇より最高位の「正一位」という神階を与えられたのが、天慶5年 (942年) です。
なぜ、淳和天皇は今まで位階のなかった稲荷神に神階を与えたのか。
じつは稲荷神に祟られたからなのだ!(笑)
ここにも出てくる空海さんww
空海が東寺に五重塔を建てたとき、稲荷山から大量の木材を無断で調達しちゃったんです。そりゃ稲荷神も怒るよ!
五重塔建設を許した淳和天皇は病に臥せてしまい、原因を占うと稲荷神が祟ってると神託が出たのだ。慌てた淳和天皇は稲荷神に神階を授けて、怒りを鎮めてもらったの。
相方クンにこの話をすると「声をあげたもんの勝ちだね。今の世の中と変わらないな」って苦笑い。祟った稲荷神はその後、平将門や藤原純友が叛乱をおこしたときに朝廷が稲荷にすがったので願いを叶えてあげた。将門たちの調伏に協力して、最高位の「正一位」を得たというわけ。
今回、藤森神社・伏見稲荷大社・東寺を見て回ったのは、こんなふうにそれぞれが絡む場所だったからなのでした^^
藤森神社は伏見稲荷に土地を奪われ、そして伏見稲荷は東寺に木材を採られ祟るw
(一番の黒幕は空海さん!?(笑))
さて。訪れた日は7月の本宮祭が開かれているときでした。
こういうときに来られることって滅多にないので嬉しいな。
応仁元年(1467年)に起こった応仁の乱で消失してしまった社殿。
豊臣秀吉の時代に楼門などが造営され、社殿も修復。今見ることができる社殿などは明応8年(1499年)のものみたいだね。
立派な社殿や鳥居は大勢の人の信仰があった証。それは間違いないよね。
外拝殿にはたくさんの絵が飾られていました。どうやら日本画家などが奉納した行灯画のようですわ。本宮祭のあいだ、こんな感じで展観されているみたい。
境内のあちこちに狐さんが居ます。
お稲荷さんというと狐さんを浮かべるだろうけど、狐は神様じゃありませんよ。眷属ですから^^
稲穂を咥えた狐さん。シッポには宝珠らしきものが乗ってます。
でも、稲荷の神様が本来は製鉄を意味するのなら、これは燃える炎を纏った玉鋼?
伏見稲荷大社のホームページにもチラリとそれを匂わせるような記載があるの。能の謡曲「小鍛冶」のことが触れられてるのだ。それはこのあと登拝する場所の1つ、御劔社での記述。
謡曲「小鍛冶」がどんな内容なのか私は見たことがないんだけど、あらすじを検索してみると以下のような感じ。
一条天皇の命により、勅使の橘道成は、刀匠として名高い三條小鍛冶宗近(さんじょうのこかじむねちか)のもとを訪れ、剣を打つよう命じます。宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れないって言うの。でも道成は聞き入れない。困った宗近は氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣したのね。そしたら稲荷明神の化身の少年が現れて、その少年に相鎚してもらって、無事に剣を鍛え上げることが出来た──という話。
平家が三種の神器を持って壇ノ浦で滅亡したとき。
安徳天皇は壇ノ浦の海に消え、剣だけは回収出来なかった。そのあと即位した後鳥羽上皇は三種の神器が揃わないまま即位。そんな後鳥羽上皇の刀が鍛えられたとき、稲荷山の土を採って用いられたという説が鍛冶屋の間では語り継がれて、稲荷信仰のもとにもなってるんだそうな。
京都はもともと刃物作りに適している場所なんだって。
出雲地方の砂鉄や玉鋼、伏見稲荷周辺の土(稲荷山・大阪層群中の粘土)、鳴滝の砥石、丹波の松炭、良質な水。それが容易に入手できる土地だったみたい。
穀物の神様だけではない側面がびしびし見えてます。
本殿でご挨拶。(人も多かったので写真は無し)
今日は稲荷山登拝に来ました! いろいろ探らせて(笑)もらいますってちゃんと宣言w
本殿に向かって左側にある鳥居を目指します。
ここが私にとっては稲荷参拝の本当の入口。一礼して足を踏み入れます。
鳥居をくぐって正面には「玉山稲荷社」
宮中に祀られていたんだけど、京都から東京に遷都したので 1974年 (明治7) に戻ってきた社なんだそうな。
その右奥にあるのが奥宮。見た目は摂社っぽいんだけど摂社でも末社でもなく、稲荷大神を祀った別格の社。1499年の『明応遷宮記録』によると、当時は八間の回廊があったらしいんだけど、今は無いです。
隣には末社の「白狐社」がありますよ。
稲荷大神の眷属を祀る唯一の社。狐の夫婦で、夫は小薄(おすすき)、妻は阿古町(あこまち)って言います。
「これからお山してきます」とご挨拶して出発!
(お山する = 稲荷山に登り、これらの神蹟やお塚を巡拝すること)
いよいよ千本鳥居を通りながら、稲荷山山頂を目指します。
いろいろ調べたことをメモした測量野帳を手にして GO! ですよ。
写真撮影がメインの人は、ここでたくさん写真を撮るんだろうけど、私の目的は違うのでどんどん進みます。相方クンが撮ってくれた写真を載せますね。
伏見稲荷大社に参拝して祈りや願いが聞き届けられ、そして感謝の念で奉納される鳥居。
江戸時代に始まったものだそうです。この時代にはもう五穀豊穣だけでなく、商売繁盛などの神様として信仰されていたんだろうね。
***
長くなりました。
覚書 & 自分の頭を整理するために書いているので、これからもこんな記事が続きます。
読むのが面倒だったらスルーしてくださいね^^
カブトムシ日記:さよなら一寸法師 [うちのイキモノ]
伏見稲荷大社の記事が書けていないので、今日はカブトムシ日記です。
最初の写真は、ニャンモックに埋もれるあおくん(笑)
そして、伏見稲荷大社のブログ書きに悪戦苦闘していて、全然ブログ巡回出来てません!(汗)
今日は皆さんのところに遊びに行きます^^
*
友達宅から来た New夜顔ちゃん。
リュカ家の一員になって食い散らかしをするようになったと記事にしたら、またきちんと餌のカップを重ねてましたw
そしてこの日は、なんと三段重ね!
いったいどんな技を使っているのだ(笑)
でもね、結局食い散らかします。
カップから全部出して広げる方が食べやすいみたいで、この食べ方を覚えた (笑) のは、夜顔ちゃんだけw
夜顔ちゃんは食べやすいだろうけど、掃除は大変なんだよ orz...
結局夜顔ちゃんは、誰ともカップルにならずに独身を貫いて、ひたすら食に走っております^^;
そして……独身のままだった一寸法師が旅立ちました。
艶のあるイイ男だったけど、小さすぎてメスにはモテませんでした。
今度生まれ変わったら、大きな体で生まれておいでね。
ほんっと今回は環境が悪くてごめんね(>人<
昨日は羽衣ちゃんが旅立ちました。
8月に入ったばかりだけど、カブトムシはどんどん去っていきます。。。
去年は成虫になってから二ヶ月くらいは生きてくれていた子が多かったけど、今年は約一ヶ月だな。大規模修繕の影響なのかなあ。
リュカ家で羽化したカブトムシは、スプーンちゃんだけになりました。
友達宅から来た3匹はまだ食欲もあるよ。丈夫だなあ〜。
最初の写真は、ニャンモックに埋もれるあおくん(笑)
そして、伏見稲荷大社のブログ書きに悪戦苦闘していて、全然ブログ巡回出来てません!(汗)
今日は皆さんのところに遊びに行きます^^
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友達宅から来た New夜顔ちゃん。
リュカ家の一員になって食い散らかしをするようになったと記事にしたら、またきちんと餌のカップを重ねてましたw
そしてこの日は、なんと三段重ね!
いったいどんな技を使っているのだ(笑)
でもね、結局食い散らかします。
カップから全部出して広げる方が食べやすいみたいで、この食べ方を覚えた (笑) のは、夜顔ちゃんだけw
夜顔ちゃんは食べやすいだろうけど、掃除は大変なんだよ orz...
結局夜顔ちゃんは、誰ともカップルにならずに独身を貫いて、ひたすら食に走っております^^;
そして……独身のままだった一寸法師が旅立ちました。
艶のあるイイ男だったけど、小さすぎてメスにはモテませんでした。
今度生まれ変わったら、大きな体で生まれておいでね。
ほんっと今回は環境が悪くてごめんね(>人<
昨日は羽衣ちゃんが旅立ちました。
8月に入ったばかりだけど、カブトムシはどんどん去っていきます。。。
去年は成虫になってから二ヶ月くらいは生きてくれていた子が多かったけど、今年は約一ヶ月だな。大規模修繕の影響なのかなあ。
リュカ家で羽化したカブトムシは、スプーンちゃんだけになりました。
友達宅から来た3匹はまだ食欲もあるよ。丈夫だなあ〜。