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伏見稲荷大社への参拝 [ふらり旅・イベント]

藤森神社をあとにして、伏見稲荷大社にやってきました。

全国に鎮座する稲荷社の総本宮!
天長4年(827年)淳和天皇の時代に「従五位下」の神階を贈られ、その後、朱雀天皇より最高位の「正一位」という神階を与えられたのが、天慶5年 (942年) です。

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なぜ、淳和天皇は今まで位階のなかった稲荷神に神階を与えたのか。
じつは稲荷神に祟られたからなのだ!(笑)

ここにも出てくる空海さんww
空海が東寺に五重塔を建てたとき、稲荷山から大量の木材を無断で調達しちゃったんです。そりゃ稲荷神も怒るよ!
五重塔建設を許した淳和天皇は病に臥せてしまい、原因を占うと稲荷神が祟ってると神託が出たのだ。慌てた淳和天皇は稲荷神に神階を授けて、怒りを鎮めてもらったの。

相方クンにこの話をすると「声をあげたもんの勝ちだね。今の世の中と変わらないな」って苦笑い。祟った稲荷神はその後、平将門や藤原純友が叛乱をおこしたときに朝廷が稲荷にすがったので願いを叶えてあげた。将門たちの調伏に協力して、最高位の「正一位」を得たというわけ。

今回、藤森神社・伏見稲荷大社・東寺を見て回ったのは、こんなふうにそれぞれが絡む場所だったからなのでした^^
藤森神社は伏見稲荷に土地を奪われ、そして伏見稲荷は東寺に木材を採られ祟るw
(一番の黒幕は空海さん!?(笑))

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さて。訪れた日は7月の本宮祭が開かれているときでした。
こういうときに来られることって滅多にないので嬉しいな。

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応仁元年(1467年)に起こった応仁の乱で消失してしまった社殿。
豊臣秀吉の時代に楼門などが造営され、社殿も修復。今見ることができる社殿などは明応8年(1499年)のものみたいだね。

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立派な社殿や鳥居は大勢の人の信仰があった証。それは間違いないよね。
外拝殿にはたくさんの絵が飾られていました。どうやら日本画家などが奉納した行灯画のようですわ。本宮祭のあいだ、こんな感じで展観されているみたい。

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境内のあちこちに狐さんが居ます。
お稲荷さんというと狐さんを浮かべるだろうけど、狐は神様じゃありませんよ。眷属ですから^^

稲穂を咥えた狐さん。シッポには宝珠らしきものが乗ってます。

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でも、稲荷の神様が本来は製鉄を意味するのなら、これは燃える炎を纏った玉鋼?

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伏見稲荷大社のホームページにもチラリとそれを匂わせるような記載があるの。能の謡曲「小鍛冶」のことが触れられてるのだ。それはこのあと登拝する場所の1つ、御劔社での記述。

謡曲「小鍛冶」がどんな内容なのか私は見たことがないんだけど、あらすじを検索してみると以下のような感じ。

一条天皇の命により、勅使の橘道成は、刀匠として名高い三條小鍛冶宗近(さんじょうのこかじむねちか)のもとを訪れ、剣を打つよう命じます。宗近は、自分と同様の力を持った相鎚を打つ者がいないために打ち切れないって言うの。でも道成は聞き入れない。困った宗近は氏神の稲荷明神に助けを求めて参詣したのね。そしたら稲荷明神の化身の少年が現れて、その少年に相鎚してもらって、無事に剣を鍛え上げることが出来た──という話。

平家が三種の神器を持って壇ノ浦で滅亡したとき。
安徳天皇は壇ノ浦の海に消え、剣だけは回収出来なかった。そのあと即位した後鳥羽上皇は三種の神器が揃わないまま即位。そんな後鳥羽上皇の刀が鍛えられたとき、稲荷山の土を採って用いられたという説が鍛冶屋の間では語り継がれて、稲荷信仰のもとにもなってるんだそうな。

京都はもともと刃物作りに適している場所なんだって。
出雲地方の砂鉄や玉鋼、伏見稲荷周辺の土(稲荷山・大阪層群中の粘土)、鳴滝の砥石、丹波の松炭、良質な水。それが容易に入手できる土地だったみたい。

穀物の神様だけではない側面がびしびし見えてます。
本殿でご挨拶。(人も多かったので写真は無し)
今日は稲荷山登拝に来ました! いろいろ探らせて(笑)もらいますってちゃんと宣言w

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本殿に向かって左側にある鳥居を目指します。
ここが私にとっては稲荷参拝の本当の入口。一礼して足を踏み入れます。

鳥居をくぐって正面には「玉山稲荷社」
宮中に祀られていたんだけど、京都から東京に遷都したので 1974年 (明治7) に戻ってきた社なんだそうな。

その右奥にあるのが奥宮。見た目は摂社っぽいんだけど摂社でも末社でもなく、稲荷大神を祀った別格の社。1499年の『明応遷宮記録』によると、当時は八間の回廊があったらしいんだけど、今は無いです。

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隣には末社の「白狐社」がありますよ。
稲荷大神の眷属を祀る唯一の社。狐の夫婦で、夫は小薄(おすすき)、妻は阿古町(あこまち)って言います。

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「これからお山してきます」とご挨拶して出発!
(お山する = 稲荷山に登り、これらの神蹟やお塚を巡拝すること)

いよいよ千本鳥居を通りながら、稲荷山山頂を目指します。
いろいろ調べたことをメモした測量野帳を手にして GO! ですよ。

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写真撮影がメインの人は、ここでたくさん写真を撮るんだろうけど、私の目的は違うのでどんどん進みます。相方クンが撮ってくれた写真を載せますね。

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伏見稲荷大社に参拝して祈りや願いが聞き届けられ、そして感謝の念で奉納される鳥居。
江戸時代に始まったものだそうです。この時代にはもう五穀豊穣だけでなく、商売繁盛などの神様として信仰されていたんだろうね。


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長くなりました。
覚書 & 自分の頭を整理するために書いているので、これからもこんな記事が続きます。
読むのが面倒だったらスルーしてくださいね^^


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