古代の里資料館にやってきました [勉強です]
ここは、京丹後市立「古代の里資料館」
この資料館は最初から知っていたわけではなく、宿でもらった観光マップに載っていて、俄然興味が湧いたので訪れました。屋外スペースでは、発掘成果を元に弥生時代の集落跡を復元しているみたいです。
丹後王国の成立から消滅、そして丹後国が誕生するまでの歴史が分かるように展示されているらしいです。楽しみ!
図録も買ってきて読んだので、その図録と旅行前に読んだ本に記載されていた内容をもとにして書いていきますね。
館内に入ってすぐの場所に、丹後半島各地にある墳墓&古墳の地図があったのですが、その形を見ると、やっぱりのちの大和政権と同じような形のものが多くて、出雲系の四隅突出型墳丘墓はありませんでした。丹後は出雲とは対立してたのかなーって思いながら展示を見ていくと、やっぱりそうみたい。
四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期後半に、中国山地や出雲地方で多く作られた形なんだけど、この形は但馬・丹後・若狭を飛び越えて越(北陸地方)に伝わってるんだって。「出雲・越」の勢力と、「但馬・丹後・若狭」の勢力間で対立があったと考えられてるけど、詳しくは分かってないそうです。謎を解くヒントになるようなものが発掘されたら面白いのにね。
京都府下にある 9149 箇所の古墳のうち、 5074 箇所が丹後地方に集中してるんだそうな。そして 5 世紀末の遠處製鉄遺跡を含めて 48 カ所にもなる鉄生産に絡む古代遺跡が丹後にはあります。このあたりは、中級クラスの豪族の墓からもバンバン鉄製品が出てくるようで、発掘をしていったら楽しいだろうなーと思います。
記紀や神代の伝承も面白いけど、やっぱりなにか遺物が出てくると俄然面白くなるよね。でも発掘には多くの予算が必要なわけで・・・記紀に殆ど書かれてない丹後地方の発掘調査&研究は、あまり進んでいないのが現状のようです。頑張れ丹後!!!(笑)
縄文時代早期〜晩期の土器や石器が大量に含まれた包含層と古墳時代の石敷遺構の断面も展示されてました。縄文時代が始まる前の旧石器時代の遺跡は、今のところ京丹後市内では見つかってないそうです。
中国大陸や朝鮮半島から米作りの技術を持った多くの人たちが日本列島にやってきて、丹後半島に住んでいた縄文人もその技術を受け入れて、最初に米作りが始まった竹野(たかの)遺跡あたりに弥生の村が広がったそうな。
弥生時代後期には山の斜面を階段状に削り出した方形台上墓が作られるようになって、そこからは鮮やかな青色のガラス玉が出土してます。写真では分かりづらいけど綺麗な青色なんだよ。弥生時代の人はこの色を好んだみたい^^
弥生時代の終わり、2 世紀後半の墳墓から、丹後の王が葬られた王墓が見つかり、この時期に丹後王国が成立したと考えられてるんだって。初期のヤマト政権は各地の地域国家が連合して作り上げた政権。(それは纒向遺跡から出土する各地から持ち寄られたであろう土器からも分かってるのだ)
丹後王国も初期のヤマト政権の成立に大きく関わってることは、記紀に記載されている、丹後の「姫」と天皇の婚姻記事から推察されると図録には書かれてました。
古墳時代の鏡も展示されてましたよ。
古墳群から出てきた鏡の年号が、三国時代の魏の「青龍三年」と書かれていて、これは西暦にすると235年。卑弥呼は 239 年に魏に朝貢して、翌年に銅鏡100枚をもらっているので、時期がほぼ一致する!
なので卑弥呼の鏡の1枚ではないかということで注目を集めたそうな。でも現在は、日本製ではないか?という議論も起こって、現在もまだ結論は出てないそうです。
丹後王国は、いちはやくヤマト政権下に組み込まれたことで、丹後一円を治めたような力のある豪族も 6 世紀に入ると存在しなくなったようです。そのかわり、ヤマト政権管轄の古代の製鉄コンビナートが、古墳時代後期には出来上がりました。ヤマト政権、がっつり鉄を手に入れたね!(笑)
記事の冒頭に書いた遠處製鉄遺跡は、ヤマト政権直営の製鉄工房と考えられてるそうですよ。
難しいハナシはこれにて終了。明日からの記事も、もうややこしいのは出てきませんからご安心を(笑)
********
屋外展示にも行ってみますよー。
大山遺跡。弥生時代後期、3世紀の堅穴住居の復元です。
屋根のあたりは昔の神社様式を思い浮かべてしまうよ。
構造上こんなふうになるのか、それとも現代の私たちが勝手に想像して神社風の鰹木を乗せたのか気になる。資料館のお兄ちゃんに聞けば良かったなあ(笑)
住居の中には弥生時代の家族が居りました^^
丹後王国、興味がますます湧きましたよ。
古代吉備王国と絡めてもっとお勉強したいわ^^
※ パレオマニア = 古代妄想狂 (池澤夏樹の造語)
この資料館は最初から知っていたわけではなく、宿でもらった観光マップに載っていて、俄然興味が湧いたので訪れました。屋外スペースでは、発掘成果を元に弥生時代の集落跡を復元しているみたいです。
丹後王国の成立から消滅、そして丹後国が誕生するまでの歴史が分かるように展示されているらしいです。楽しみ!
図録も買ってきて読んだので、その図録と旅行前に読んだ本に記載されていた内容をもとにして書いていきますね。
館内に入ってすぐの場所に、丹後半島各地にある墳墓&古墳の地図があったのですが、その形を見ると、やっぱりのちの大和政権と同じような形のものが多くて、出雲系の四隅突出型墳丘墓はありませんでした。丹後は出雲とは対立してたのかなーって思いながら展示を見ていくと、やっぱりそうみたい。
四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期後半に、中国山地や出雲地方で多く作られた形なんだけど、この形は但馬・丹後・若狭を飛び越えて越(北陸地方)に伝わってるんだって。「出雲・越」の勢力と、「但馬・丹後・若狭」の勢力間で対立があったと考えられてるけど、詳しくは分かってないそうです。謎を解くヒントになるようなものが発掘されたら面白いのにね。
京都府下にある 9149 箇所の古墳のうち、 5074 箇所が丹後地方に集中してるんだそうな。そして 5 世紀末の遠處製鉄遺跡を含めて 48 カ所にもなる鉄生産に絡む古代遺跡が丹後にはあります。このあたりは、中級クラスの豪族の墓からもバンバン鉄製品が出てくるようで、発掘をしていったら楽しいだろうなーと思います。
記紀や神代の伝承も面白いけど、やっぱりなにか遺物が出てくると俄然面白くなるよね。でも発掘には多くの予算が必要なわけで・・・記紀に殆ど書かれてない丹後地方の発掘調査&研究は、あまり進んでいないのが現状のようです。頑張れ丹後!!!(笑)
縄文時代早期〜晩期の土器や石器が大量に含まれた包含層と古墳時代の石敷遺構の断面も展示されてました。縄文時代が始まる前の旧石器時代の遺跡は、今のところ京丹後市内では見つかってないそうです。
中国大陸や朝鮮半島から米作りの技術を持った多くの人たちが日本列島にやってきて、丹後半島に住んでいた縄文人もその技術を受け入れて、最初に米作りが始まった竹野(たかの)遺跡あたりに弥生の村が広がったそうな。
弥生時代後期には山の斜面を階段状に削り出した方形台上墓が作られるようになって、そこからは鮮やかな青色のガラス玉が出土してます。写真では分かりづらいけど綺麗な青色なんだよ。弥生時代の人はこの色を好んだみたい^^
弥生時代の終わり、2 世紀後半の墳墓から、丹後の王が葬られた王墓が見つかり、この時期に丹後王国が成立したと考えられてるんだって。初期のヤマト政権は各地の地域国家が連合して作り上げた政権。(それは纒向遺跡から出土する各地から持ち寄られたであろう土器からも分かってるのだ)
丹後王国も初期のヤマト政権の成立に大きく関わってることは、記紀に記載されている、丹後の「姫」と天皇の婚姻記事から推察されると図録には書かれてました。
古墳時代の鏡も展示されてましたよ。
古墳群から出てきた鏡の年号が、三国時代の魏の「青龍三年」と書かれていて、これは西暦にすると235年。卑弥呼は 239 年に魏に朝貢して、翌年に銅鏡100枚をもらっているので、時期がほぼ一致する!
なので卑弥呼の鏡の1枚ではないかということで注目を集めたそうな。でも現在は、日本製ではないか?という議論も起こって、現在もまだ結論は出てないそうです。
丹後王国は、いちはやくヤマト政権下に組み込まれたことで、丹後一円を治めたような力のある豪族も 6 世紀に入ると存在しなくなったようです。そのかわり、ヤマト政権管轄の古代の製鉄コンビナートが、古墳時代後期には出来上がりました。ヤマト政権、がっつり鉄を手に入れたね!(笑)
記事の冒頭に書いた遠處製鉄遺跡は、ヤマト政権直営の製鉄工房と考えられてるそうですよ。
難しいハナシはこれにて終了。明日からの記事も、もうややこしいのは出てきませんからご安心を(笑)
********
屋外展示にも行ってみますよー。
大山遺跡。弥生時代後期、3世紀の堅穴住居の復元です。
屋根のあたりは昔の神社様式を思い浮かべてしまうよ。
構造上こんなふうになるのか、それとも現代の私たちが勝手に想像して神社風の鰹木を乗せたのか気になる。資料館のお兄ちゃんに聞けば良かったなあ(笑)
住居の中には弥生時代の家族が居りました^^
丹後王国、興味がますます湧きましたよ。
古代吉備王国と絡めてもっとお勉強したいわ^^
※ パレオマニア = 古代妄想狂 (池澤夏樹の造語)
丹後半島の歴史は面白いですね。
古代のロマンだなぁ ^^
海部氏も謎が色々とありそうですね。始祖は神武天皇のお父さんニニギノミコトとは兄弟なんですね。サッカーで有名な八咫烏とも言われているんですね。初めて知りました。
この士族と聖徳太子、蘇我氏や物部氏との関係も調べてみると面白そうだなぁ~。神社も行ってみたいです。
京都もこっち側って行ったことないから色々と知りたい。
記事楽しみにしてます。 ^^
by moz (2017-12-12 06:10)
今まで知らなかったくらいなので、それだけ調査が進んでいないってことかもしれませんね。
パレオマニア・リュカさんの今後の調査にますます期待しちゃうわ。
弥生時代の遺跡というと、静岡は登呂遺跡があったので、なんとなく身近に感じちゃいます。
by ChatBleu (2017-12-12 06:13)
人間文明に浸ると、もう竪穴式住居には住めませんねー。
あ、リュカさんは鍾乳洞には住めるのでしたね^ ^
by またじ (2017-12-12 06:34)
年末年始は歴史にはまることにして
「聖徳太子 四天王寺の暗号―痕跡・伝承・地名・由緒が語る歴史の真実」を読むことにします。
本を手配済み(^_^;)
by green_blue_sky (2017-12-12 07:34)
とても鏡には見えませんニャ^^;
by ぽちの輔 (2017-12-12 07:35)
昔はあちこちに「王国」があったのでしょうか。
太古のロマンですね。
by YAP (2017-12-12 08:18)
子供時代育った家の屋根は、まさにこんな形の藁屋根でした。
(父が亡くなり京都から故郷に戻って住んだ家)
by 侘び助 (2017-12-12 08:23)
mozさん
海部氏も、かなーーーーり深そうでしょ。
秦氏に負けず劣らずまじ凄そうです。
百済・新羅・聖徳太子の関係も深そうで、まだまだ知りたいことはいっぱいですよ。
今回、はじめて丹後半島に行ったのですが
行けて良かった~~って思いました!
ChatBleuさん
まじめに発掘すると、すごいものがいろいろ出てきそうな
そんな予感がする丹後半島(笑)
パレオマニア心を刺激する旅でした^^
そうですよね。静岡は登呂遺跡!!授業で習った~(笑)
またじさん
竪穴式住居には住めないなー。一泊くらいならいいけど(笑)
鍾乳洞は大丈夫!
でも電波届かないーとか言いそうww
green_blue_skyさん
お、本を手配したのですね。
ブログには書かなかったのですが、いきなり突拍子もない始まり方で、「えー?」ってなるかも^m^
この本と同じ内容のものが「捜聖記」って名前で出版されてて
そっちは小説になってるので読みやすいです。
ぽちの輔さん
今の鏡とは全然ちがいますもんねー(笑)
YAPさん
昔はあちこちに王国がありました^^
でも個々でバラバラだと中国から国として認めて貰えないので
1つの集合体として出来上がったのがヤマト政権のようですよ。
その傘下になかなか入らなかった有力者が討伐されていったのでしょうね。いつまでも反抗してた蝦夷とか^^;
侘び助さん
わー、こういう感じの屋根だったのですね。
そしたらやっぱり、自然とこういう形になるのかなー^^
by リュカ (2017-12-12 09:24)
あちこちにあった王国をヤマト朝廷がまとめた
のですね。
縄文人と弥生人は顔が全然違いますよね。
どこでどう変わったのかとか気になりますね^^
竪穴式住居、ちょっとここでは暮らせないかな(笑)
by カトリーヌ (2017-12-12 10:02)
今朝積もっていた身としてはこの住居には住めません( ;∀;)
寒いですーエアコンに床暖房欲しいですよね
出雲って各地にご迷惑を掛けていたのだろうと想像いたしますわ
良かったですよ、こちらが中央にならず(;´・ω・)
のんびりで良いのでございますw
by りみこ (2017-12-12 10:21)
おはようございます。
古代の歴史の勉強をさせていただきました。
有難うございますェ(__)ェ
by yakko (2017-12-12 10:47)
カトリーヌさん
ほんっと、縄文人と弥生人は顔が全然違いますよねー
この人種が混ざると、今の日本人の顔になるんですかね?(笑)
これは科学博物館の分野だよねww
うん。わたしも竪穴式住居には住めません^^;
りみこさん
えー、なんでなんで~
出雲いいじゃないですか!わたしはこれからも出雲贔屓ですよ(笑)
でもまぁ、のんびりがいいですよね^^
それは東北の蝦夷も一緒ww
「征夷だー」なんて敵視されて迷惑だわww
yakkoさん
今日も読んでくれてありがとうでした^^
明日からはお気楽記事です!(笑)
by リュカ (2017-12-12 11:00)
>難しいハナシはこれにて終了
壮大なロマンを感じますが、ホッとしたのが偽らざる気持ちです(笑)
by tsun (2017-12-12 11:01)
tsunさん
それでも来てくれてありがとうー!
明日からは気楽に覗いてね~~~(笑)
by リュカ (2017-12-12 11:03)
こんなに毎日寒いと、弥生時代に生まれなくて良かったと、
しみじみ思ってしまいます(^^;
西暦235年! 眩暈がしそうなくらい長い時間ですね~(@_@)
by まつき (2017-12-12 11:45)
古代へのロマン、良いですよね(^_-)
静岡市では登呂遺跡が有名ですが、隣街の藤枝市には若王子(にゃくおうじ)遺跡がありますよ(^^;;
by 風来鶏 (2017-12-12 12:54)
昔は勢力が細かく分かれていたのね。
争いごとも多かったのでしょうね。
この時代に生まれればそれなりに生きていたかもしれないけど
やっぱり現代の方がいいかな(笑)
by kuwachan (2017-12-12 12:58)
まつきさん
もし弥生時代に生まれていたら
わたし、まっさきに死んでそうです(笑)
西暦235年ってまったく想像出来ないですよねww
風来鶏さん
若王寺遺跡は知らなかったです。
製鉄に関わりをもつ人たちの遺跡だって考えられてるんですね。
魅力的!(笑)
by リュカ (2017-12-12 13:01)
kuwachan
わたしも絶対現代がいいーー!(笑)
昔の時代では生き抜ける自身がないわww
美味しいものたべて、美味しいもの飲む今がいい^m^
by リュカ (2017-12-12 13:33)
パレオマニアって言葉初めて知りましたー!
出雲・吉備・丹後・若狭・・・パレオマニアのリュカさんには
琴線に触れまくりの土地の様ですね。
そもそも「裏日本」っていう言い方があること自体
何かあるんじゃないか・・・と思っていたのです。
公になると歴史が大混乱する(むしろ腑に落ちる点が多い?)
事実が沢山出てきそうなリュカさんのお勉強ですね^^
世紀の大発見期待してるからー!!
by ちぃ (2017-12-12 14:26)
ちぃさん
そうなのー。わざわざ「裏日本」なんて言うこと自体が
もう何かを隠して貶めてるよね!
こっちがわの文化ってワクワクすることがたくさんです^^
絶対コッチのことがわかれば腑に落ちること多い気がするわ。
あとはやっぱり蝦夷関係だな~~(笑)
まだまだこれからも、パレオマニアの旅は続きますww
岡山はまだ行ったことが無くて、必死に勉強しないと縁が出来ないんだろうなって思ってます。頑張るわww
by リュカ (2017-12-12 15:31)
頑張れ丹後!!!
真剣に読んでで吹き出しちゃいました(笑)
私も青のガラス玉大好きで
弥生の時代にお邪魔したいです(^^)/
by erena (2017-12-12 20:48)
リュカママは難しいご本読んでばかりでちっとも遊んでくれないにゃ・・・byあお、うみ、(^▽^;)
パレオマニア、初めて聞きました。
古代については口伝えや手書きの写本で誤りも多くて、本当のところは謎だらけですもんね^^
by ゆきち (2017-12-12 20:51)
昔も今も家族で食事が一番。
冷え込んでます。
by 夏炉冬扇 (2017-12-12 20:55)
丹後って王国があったんですね
驚きです。
ますます丹後へ行きたくなります
by きよたん (2017-12-12 20:58)
遺跡の発掘はお金だけじゃなく、掘る人も大変みたいですね。
九州で遺跡発掘(唐津の菜畑遺跡)に関わった方が、
あまりに身体が辛くて、3日で辞めたことがあります(笑)
by 唐津っ子 (2017-12-12 23:40)
erenaさん
あははは(笑) 笑っちゃいました?ww
良かったですー^m^
青色って素敵ですよね。わたしも弥生人と気が合うのかもって思いましたよ(笑)
ゆきちさん
古代のことはきっとこのさきも分からないんでしょうねー^^
それだからこそ、いろいろ妄想しちゃう(笑)
読書も終わったので、あおうみと遊びます!!!ww
夏炉冬扇さん
こちらも天気は良いけど冷えてます。
体調に気をつけてくださいね^^
きよたんさん
丹後の旅おもしろかったです!
おすすめですよー^^
唐津っ子さん
掘る人も大変ですよね!
わたしも大学の頃発掘のバイトしてたので分かりますー(笑)
北海道から出てきたばかりで、いきなりこっちの猛暑の中発掘で
熱中症にもなりました(笑)
真っ黒に日焼けしてましたよーww
by リュカ (2017-12-13 08:31)
若王子古墳群は、この記事で若干しょうかいしています(^_-)
http://moony-flight.blog.so-net.ne.jp/2013-04-30
by 風来鶏 (2017-12-13 12:42)
風来鶏さん
あとで見に行きますね〜
by リュカ (2017-12-13 20:09)