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ドラマ感じる展覧会『古代常陸の雄 三昧塚古墳』 [アート]

時は1955年。茨城県行方市。
霞ヶ浦のほとりで堤防建設の土取工事が始まりました。
トロッコで土砂を大量に運び出す作業が進められ、その様子を偶然通りかかった茨城県文化財審議専門委員の関係者が目撃しました。

なんと、そこは『三昧塚(さんまいづか)古墳』という全長87mの前方後円墳だったのです。
専門委員を通じて国の文化財保護委員会(現在の文化庁)と茨城県教育委員会の知るところとなり、急遽協議がおこなわれたけれど、工事は進んでいて古墳の消滅は避けられない見通しになりました。

やむを得ず、発掘調査による記録保存(古墳は失われるが、記録し、出土品は回収保存する)が決定。毎日数メートル単位で墳丘が削られていく工事が進められるなか、時間との戦いの発掘調査がおこなわれました。
その発掘担当になったのが、明治大学考古学専攻の教授たち。

今回ふらりと立ち寄った明治大学博物館の展覧会は、そんな状況で発掘し、出土した遺物が展示されていました。

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調査の時間はわずか20日。
その間に出てくる出てくる、古墳時代の遺物!

鉄刀はとても大きくて、かなりの権力を持った人物の古墳だったことが窺えるのですっ

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そして出てきた石棺。
時間がないながらも、正確に記録していくんだ!という意志を感じる出土状況図です。

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展示室には実物大のイラストもあって、どんなふうに副葬品が置かれていたのかも分かります。

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被葬者が装着した状態で出てきたのが、国内唯一の金銅馬形飾付透彫冠。
あ、しまった!後ろのパネルに焦点が合って冠がボケてるorz...

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復元品は、ちゃんと撮れてるね。

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展開した全長は60cm。こんなふうに全体像が分かるものは、かなり貴重なんだそうです。
馬を戴く冠は国内で唯一の例で、被葬者の強いこだわりが窺えるとのこと。朝鮮半島の伽耶や百済の影響をもとに、国内で製作されたものと考えられているそうな。

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埴輪はもちろんのこと、武器や武具も多く出土していて、この埋葬者は軍事的性格の強い首長だったのでは? ということ。そして埴輪も独特なものが多かったので、自らの支配地であった霞ヶ浦を強く意識し、霞ヶ浦の水上交易を利用して、関東・近畿の勢力と渡り合った王なのでは? と考えられるそうです。

なるほどぉ。
この古墳の場所から中臣氏の土地(鹿島・香取あたり)は少し離れているから、中臣氏関係者ではなさそうだけど、勢力争いをしていたら面白いなあ〜などと妄想。

あ、そうそう。
この三昧塚古墳は、出土品の重要性などから墳丘が 1/3 まで削られたけど、そこで工事は中止。古墳消滅は免れたんだそうです。
1990年に現在の行方市が墳丘を買い上げ、遺跡としての保存整理が始まって現在もその姿を見ることが出来るそうな。
2018年に主要な出土品は国の重要文化財に指定。

もしも文化財審議専門委員の関係者が偶然通りかからなかったら、古墳は消滅していたんだよね。古墳に埋葬された首長が導いたと思いたい^^

このエピソードは映画化されたら面白いなあ〜なんて思った楽しい展覧会でした♪


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古代常陸の雄 三昧塚古墳
明治大学博物館
2022年7月8日〜8月7日
https://www.meiji.ac.jp/museum/index.html


このあとは、ついでに常設展示も観ていこう〜っと。
記事は続く。


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