日帰り千葉ドライブ:その9 龍角寺古墳群 [ふらり旅・イベント]
記事は続きます。
千葉ドライブ大詰め。風土記の丘資料館を出て、龍角寺古墳群を散策しますよ。
駐車場には私たちが乗ってきたレンタカーだけ。他にお客さんが居ないのが分かるでしょう^^;

今から観ていく龍角寺古墳群は、6世紀から7世紀にかけて築造された古墳群で、全部で115基確認されてるんだって。でも一部しか発掘調査はされていなくて、まだ明らかにされていない部分も多いそうな。
前方後円墳 37基
方墳 6基
円墳 72基
そしてこのエリアには「房総のむら」という体験型の博物館があるのだ。今回は時間がなかったので行かなかったけど、香取市に残る古い町並みを参考にして商家の町並みを再現したり、武家屋敷や農家なども再現されているんだって。こういうところを見て回るのも楽しそうだなって、あとでパンフレットを見て思いました^^
さあ、古墳です!

あちこちポコポコと盛り上がっている。これ全部古墳なのか!
この 68 号は、ドローンか何かで上から見ると前方後円墳なんだね。

何も知らなければ普通の丘っぽいけど、人工の墓なんだ。そう思うとこれだけの墓がある場所に立っていることに心が震えたわ。感動という安っぽい言葉では言い表せないなあ。

まだまだ発掘されていない古墳があるってことだから、もう肉体はないかもしれないけど、でもここに眠っている埋葬者がいる。そう思うだけで、古墳からひそひそ声が聞こえてきそうな不思議な気分^^
死者のことに思いを馳せられるのは、生者だけなんだよね。
そんな当たり前のことを思っていたよ。

次に向かったのは龍角寺 105 号墳の岩屋古墳です。
岩屋古墳は 7 世紀、古墳時代終末期の方墳としては全国第一位の規模なんだって。この岩屋古墳の築造からまもなくして龍角寺が建立されているので、この古墳の被葬者が、龍角寺の造営主体者ではないかと言われているのだ。

この草むらを歩くと、ぴょんぴょんとイナゴが跳ねるの。
相方クンは「懐かしい! 子供の頃、こういうところで捕まえて遊んだ!」と、イナゴに夢中。童心にかえっておりました(笑)
相方クンは高校の途中で名古屋に転校するまで埼玉県育ちですw

確かに私の子供の頃も、草っ原にはいろんなバッタが居たわ。懐かしかったです。
石室もありましたよ。平成25年度に行われた調査報告の立て札がありました。

やっぱりこの石室も筑波山系の岩から作られているみたい。
今はすっかり草に覆われてました。

お次は、埴輪が並べられて当時の様子が再現されている第101号古墳に向かいます。
途中、スッキリした建物が!!

明治32年(1899)に建築された明治期の学校みたい。
旧学習院初等科正堂って書かれてました。国の重要文化財なんだそうな。
古墳群がある「房総のむら」には、こんなふうにあちこちに貴重な建物も点在しているっぽいです。
「アメリカ映画に出てきそうな雰囲気だね」
「この広場でパーティーしてて何かに襲われるのw」
などと話ながら、古墳を目指す^^
お、見えてきたかな?

これが第101号古墳です。
円墳が可愛い〜! 埴輪が可愛い〜〜ww

千葉県教育委員会のサイトでは、冬の様子なのかな?
その写真が載ってるのですが、今は夏なので、草がかなりボーボー。それはそれでなかなか良い雰囲気です。

こういう景色を見ると「つわものどもが夢の跡」という言葉が浮かんでしまう(笑)
ここの石棺から 8 体の人骨が出土したのかーと、資料館で見てきた出土品なども思い返していました。どんな有力者だったのかなあ〜。
古墳に一番近いところは円筒埴輪がずらりと取り囲んでいて、その外側に様々な格好をした埴輪が並べられていたよ。

リーゼントチックな埴輪も発見(笑)
いや、きっと帽子か何かなんだろうけど……分からんw

お、これは馬の埴輪?

兵士、馬具を付けた馬、盾かな?
博物館で陳列されているよりも、より臨場感があるわ。

資料館で金銅製の毛彫馬具というのを見ていたんだけど、
この馬具は東日本、とくに群馬・茨城・静岡に多いの。東北道へ向かう要衝で出てくるんだって。
東北進出を図る大和王権の政策に応じた東軍軍団への勲章だったと思われてるそうな。
ここの古墳に眠る人たちも、そういう豪族だったのかな。
蝦夷討伐!ってか? ちょっと気持ち複雑ww
古墳も見て大満足!
せっかくなので、龍角寺古墳群という名前のもとになった龍角寺も観ていこう。
次回の記事で、日帰り千葉ドライブの記事も終わりです。
成田山には行けるのか!?
千葉ドライブ大詰め。風土記の丘資料館を出て、龍角寺古墳群を散策しますよ。
駐車場には私たちが乗ってきたレンタカーだけ。他にお客さんが居ないのが分かるでしょう^^;
今から観ていく龍角寺古墳群は、6世紀から7世紀にかけて築造された古墳群で、全部で115基確認されてるんだって。でも一部しか発掘調査はされていなくて、まだ明らかにされていない部分も多いそうな。
前方後円墳 37基
方墳 6基
円墳 72基
そしてこのエリアには「房総のむら」という体験型の博物館があるのだ。今回は時間がなかったので行かなかったけど、香取市に残る古い町並みを参考にして商家の町並みを再現したり、武家屋敷や農家なども再現されているんだって。こういうところを見て回るのも楽しそうだなって、あとでパンフレットを見て思いました^^
さあ、古墳です!
あちこちポコポコと盛り上がっている。これ全部古墳なのか!
この 68 号は、ドローンか何かで上から見ると前方後円墳なんだね。
何も知らなければ普通の丘っぽいけど、人工の墓なんだ。そう思うとこれだけの墓がある場所に立っていることに心が震えたわ。感動という安っぽい言葉では言い表せないなあ。
まだまだ発掘されていない古墳があるってことだから、もう肉体はないかもしれないけど、でもここに眠っている埋葬者がいる。そう思うだけで、古墳からひそひそ声が聞こえてきそうな不思議な気分^^
死者のことに思いを馳せられるのは、生者だけなんだよね。
そんな当たり前のことを思っていたよ。
次に向かったのは龍角寺 105 号墳の岩屋古墳です。
岩屋古墳は 7 世紀、古墳時代終末期の方墳としては全国第一位の規模なんだって。この岩屋古墳の築造からまもなくして龍角寺が建立されているので、この古墳の被葬者が、龍角寺の造営主体者ではないかと言われているのだ。
この草むらを歩くと、ぴょんぴょんとイナゴが跳ねるの。
相方クンは「懐かしい! 子供の頃、こういうところで捕まえて遊んだ!」と、イナゴに夢中。童心にかえっておりました(笑)
相方クンは高校の途中で名古屋に転校するまで埼玉県育ちですw
確かに私の子供の頃も、草っ原にはいろんなバッタが居たわ。懐かしかったです。
石室もありましたよ。平成25年度に行われた調査報告の立て札がありました。
やっぱりこの石室も筑波山系の岩から作られているみたい。
今はすっかり草に覆われてました。
お次は、埴輪が並べられて当時の様子が再現されている第101号古墳に向かいます。
途中、スッキリした建物が!!
明治32年(1899)に建築された明治期の学校みたい。
旧学習院初等科正堂って書かれてました。国の重要文化財なんだそうな。
古墳群がある「房総のむら」には、こんなふうにあちこちに貴重な建物も点在しているっぽいです。
「アメリカ映画に出てきそうな雰囲気だね」
「この広場でパーティーしてて何かに襲われるのw」
などと話ながら、古墳を目指す^^
お、見えてきたかな?
これが第101号古墳です。
円墳が可愛い〜! 埴輪が可愛い〜〜ww
千葉県教育委員会のサイトでは、冬の様子なのかな?
その写真が載ってるのですが、今は夏なので、草がかなりボーボー。それはそれでなかなか良い雰囲気です。
こういう景色を見ると「つわものどもが夢の跡」という言葉が浮かんでしまう(笑)
ここの石棺から 8 体の人骨が出土したのかーと、資料館で見てきた出土品なども思い返していました。どんな有力者だったのかなあ〜。
古墳に一番近いところは円筒埴輪がずらりと取り囲んでいて、その外側に様々な格好をした埴輪が並べられていたよ。
リーゼントチックな埴輪も発見(笑)
いや、きっと帽子か何かなんだろうけど……分からんw
お、これは馬の埴輪?
兵士、馬具を付けた馬、盾かな?
博物館で陳列されているよりも、より臨場感があるわ。
資料館で金銅製の毛彫馬具というのを見ていたんだけど、
この馬具は東日本、とくに群馬・茨城・静岡に多いの。東北道へ向かう要衝で出てくるんだって。
東北進出を図る大和王権の政策に応じた東軍軍団への勲章だったと思われてるそうな。
ここの古墳に眠る人たちも、そういう豪族だったのかな。
蝦夷討伐!ってか? ちょっと気持ち複雑ww
古墳も見て大満足!
せっかくなので、龍角寺古墳群という名前のもとになった龍角寺も観ていこう。
次回の記事で、日帰り千葉ドライブの記事も終わりです。
成田山には行けるのか!?