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岡山:造山古墳で裏歴史を熱く語ってみる [ふらり旅・イベント]

岡山旅行。鬼ノ城の次に向かったのは造山(つくりやま)古墳です。
タクシーを降りた造山古墳ビジターセンター前から記事はスタート。造山古墳については今日の記事で終わらせるので、かなり長文です!!! 時間のあるときにでもどうぞ。

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この造山古墳は、のぼることが出来る古墳のなかで一番大きな古墳!
しかも前方後円墳 ^^

21 世紀の現在では、前方後円墳の大きさ順序は以下の通り。造山古墳は第 4 位。

1位. 大仙陵古墳(仁徳天皇陵): 大阪【5世紀中頃】
2位. 誉田御廟山古墳(応神天皇陵): 大阪【5世紀前半】
3位. 石津ヶ丘古墳(履中天皇陵): 大阪【5世紀前半】
4位. 造山古墳: 岡山【5世紀前半】

でも古墳が出来た当時で考えると、造山古墳が出来た当時はまだ仁徳天皇陵なんかは存在してなくて、3 位の履中天皇陵に次ぐ第 2 位の大きさを誇っていたのだ。
ヤマトの天皇陵に匹敵するくらいの規模のものを吉備国は造れたんだよね。それだけ大きな力を持っていた国だったということです。履中天皇陵が約 365m で、造山古墳は約 350m 。(ヤマトの王よりはチョットだけ小さくしてやったぜ、みたいな?w)

しかも宮内庁管轄の天皇陵ではないので、造山古墳は自由に立ち入ることが出来るのだ(笑)
民家の間を通って造山古墳を目指しますよ。

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うわわ、鬼ノ城散策の時も見かけていたんだけど、此処にもマムシ注意の看板が^^;
山の中じゃなくても出るのか!(今回は遭遇しなかったよ^^)

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造山古墳。古代吉備王国の首長の墓と言われてます。
弥生時代の楯築遺跡に埋葬されていた首長の後継者あたりなんだろうか。

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今回、吉備探訪の記事を書くにあたって、あまりにも複雑になっちゃうので割愛したことがいろいろあります。行けなかった中山茶臼山古墳も含めて、此処に埋葬されていたであろう首長については、地元の歴史家がいろいろ考察をしているの。
もちろん本当のことは知る由もないけれど、造山古墳に眠っていた人物は、吉備臣の祖である「吉備(きびの)御友別(みともわけ)」ではないか? とのこと。

御友別については今回の旅日記には全く触れてないんだけど、この人物こそ、元来吉備の地で生まれ、吉備の地に伝承される神。飛鳥時代に吉備津神社に祀られた主祭神「大吉備津彦命」だと歴史家は言ってます。そしてこの人物の祖父にあたる人のことは日本書紀がうまく家系図調整しちゃってるっぽい。

これを書くと、ヤマトのイサセリ彦も温羅も含めて誰が吉備津彦? って頭がぐちゃぐちゃになるから割愛して、造山古墳の記事にときに少し触れようと思っていたのでした。

ま、吉備津彦命という呼称はその時代時代で王( = 首長 = 神)が呼ばれる名前であっただろうし、いろんな説があるんだよーってことです(笑)

古墳内にある荒神社。ここに石棺が置かれてます。
棺のふたは破片になって社の裏手に置かれているんだそうな。

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長さは 239cm で、材質は馬門石。阿蘇溶結凝灰岩で、な〜んと熊本県の宇土半島から産出されるものなんだって。こんな無造作に置かれてるけど、吉備と九州の関係を示す貴重な証拠みたいです。
製鉄絡みの話を入れると、吉備と九州は連携していた頃もあったようなのよね。今回はあれこれ書きませんw

さあ、古墳にのぼるぞー!

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造山古墳が造営された 5 世紀前半。
同時代、この吉備の地で 100m を超える前方後円墳は他に見当たらないの。それまでは中小部族の首長は前方後円墳を作っていたのに、方墳に変わるのだ。そして方墳に大量の武具を埋葬するの。

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そのことからこの時代、1人の吉備の首長(造山古墳の埋葬者)を頂点とするピラミッド構造が出来上がって、各部族の長は武装集団化していた可能性が高いそうな。吉備を裏切ったヤマト王権との戦いを見据えていたのかもしれないね。実際、日本書紀(ヤマトの視点)では「吉備の反乱」として書かれている項目があるのよ。

でも造山古墳が吉備の絶頂期。
このあとは衰退していくの。ヤマトの雄略天皇(456年〜479年)の出現によって、吉備はヤマト王権への発言権も主導権も奪われ、押さえ込まれたのではないかと考えられてるそうです。もし吉備津神社に祀られている「吉備津彦」が、本当はこの造山古墳の主だとしたら、怨霊って言われるのも分かるかなって思った。

この雄略天皇は、日本書紀で「悪い天皇」って書かれちゃうような人物で、付いてくる豪族は周りに居なかったのに、いったい誰が? という謎は、埼玉古墳群の稲荷山古墳から出土した鉄剣がヒントをくれたんだって。国宝にもなってる有名な鉄剣、「金錯銘(きんさくめい)鉄剣」です。
これによって 5 世紀の東国がヤマトの支配体制に組み込まれていたことが分かったのだ。ということは、東国の豪族たちが吉備を攻めた? のかもしれない??(笑)

ちょっと複雑な気持ちになりながら(北海道出身だけど、今は東国に暮らしてるからw)、古墳を上るよ。古墳の一部は段々の畑にされていた時代があったようです。

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周りの景色はこんな感じ。
田んぼが広がるのどかな景色だ〜。

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そしてここが円丘部分。
ここに竪穴式石室を作って、石棺が置かれていたのだ。

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うん……想像してみるけど、やっぱりただの原っぱにしか見えない(笑)
古墳はロマンがあるんだけど……実際に降り立つと、ただの原っぱなんだよねえ^^; エヘヘ

相方くんは早くも飽きたようで(興味がないから当然かw)、階段を下って行ってました。
此処に吉備国が絶頂期だった頃の王が眠っていたという事実だけを認識して、私も階段を下ります。

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造山古墳ビジターセンターまで戻ってきました。
当初の予定では、ここでタクシーを呼んで備中高松駅まで行き宇野港へ。そこから直島へ渡る予定だったのだ。でも直島行きは台風14号の影響でキャンセルしたので、このあと急ぐ必要はなくなりました。

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ビジターセンターにあったバスの時刻表を見ると、なんと無料で岡山駅まで行けちゃう!
バスが来るまではまだ時間があったけど、急ぐ旅じゃなくなったので、ビジターセンターで造山古墳の勉強をしながらバスを待つことにしました。

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10時34分のバスに乗って JR 岡山駅まで連れて行ってもらうよー。
こりゃ楽でいいや^^

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このバスを使うと、吉備津神社や吉備津彦神社にも無料で行けるんだねえ。
次回岡山に来るときは、こういうのを上手く活用していこうって思いましたわ^^

岡山駅に到着したので、お昼ご飯でも食べてお土産を買って、それから姫路城を目指しますか〜!



…というわけで、歴史の話はこれにて終了。お付き合いありがとうございました。
岡山はまた来ることになると思うので、そのときは製鉄絡み & 物部氏吉備出身説 & スサノオの台頭(スサノオ vs 大国主命)なんかで裏歴史を深掘りしたいな。

このあとは、お昼ご飯 & 姫路城です。パレオマニア(古代妄想狂)の私は、14世紀に造られた姫路城はあまり語ることはないので、一般的な観光客視点の記事になりますーww


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