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岡山:復元された鬼ノ城の西門 [ふらり旅・イベント]

昨日はポケ活^^
ブログはお休みしました。今日もポケGOでイベントがあるっぽいけど、ブログ活動はする予定です!
昨日のお返事もあとでさせてくださいね。



岡山の総社市にある鬼ノ城。
鬼城山の山頂(標高約400m)一帯に、高さ6mにも及ぶ土塁や石塁が約2.8kmにわたって巡らされた古代の山城です。

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今日の記事は丸で囲った「角楼」と「西門」です。
土塁や石塁をめぐる散策は次回以降の記事で^^

時間と体力の問題と、あまりにも過酷な道とたくさんの虫に阻まれて、この旅で辿り着けたのは「東門」まででした(笑)
そしてその過酷な道の箇所は、写真を撮ってる余裕はなかったのでお見せできる写真がないのでした(笑)

さて、西門に辿り着く前に大きな角楼がありました。
古代工法で復元した土塁。

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上の方は木で復元してるんだね。さらにこの上に建物があったかどうかは不明なんだって。
そりゃそうだよね。発掘で分かるのは礎石などの部分。文献もしくは建物を描いた土器や銅鐸でもない限り、建物の上の部分がどうなっていたのかは謎よね ^m^

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せっかくなので角楼の上にも行ってみよう!

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こういう角楼跡が発掘されたのは、古代山城ではこの鬼ノ城くらいみたい。
この場所は尾根つづきで攻められやすいから、城壁の一部を長方形にして張り出させているんだって。
これによって城壁の死角を補って防御力を高めるそうな。(良く分かんないけどw)

その割に、実は不思議なことに発掘であまり武器は出てこないんだって。
農具は比較的出てくるようです。

天智天皇の時代に唐や新羅からの攻撃対策(実際には攻めてこなかったけど)で「城」は造られるようになったわけだけど、発掘を進めていくと、この鬼ノ城はそれ以前から造られ始めていた可能性があるそうな。そうなると、他の山城とは目的が違い、大和王権主導ではない誰かが城を築き始めた可能性も? 実際大和(天智天皇の弟である天武天皇)が編纂しはじめた日本書紀には記述が一切ない。

温羅の伝説(百済から来た王子で、最新の製鉄・製造技術を吉備の人たちに教えて城を造った)もあながちまったくの作り話ではなさそう?^^

おお!広い!

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ここから西門の様子も良く見えます。

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さて、この西門に行きますよ〜!

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本では読んで想像していた西門!
これを自分の目で見たかった!!

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見晴らしも良いよ〜〜!

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門をくぐって、表から見てみるよ!!
城の外から見るとこんな感じの西門です。

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大きさ比較のために相方くんに立ってもらうw

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この西門の遺構は状態良く残っていて、18本の角柱と中央の敷石、目隠し塀などがあったことが分かっているんだって。上部に関しては想像して復元。飾られている絵付きの楯は、岡山の古墳から出た埴輪に描かれていた絵をモチーフにしたんだそうな。

城内から見ると西門はこんな感じ。

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鬼ノ城には城門が東西南北 4 箇所あるの。
通路の床面に大きな石を敷いて、2m 近い大きな段差を付けるのが特徴みたい。
この写真だと分かりづらいけど、けっこうな段差のある門だったのよ。南門だとちょっと分かりやすくなるかな? そのときまた紹介します。(その南門の段差で滑って転んだw)

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柱の穴や門礎からするに、この西門は古代山城のなかでは日本最大の壮大堅固な城門なんだって。西門の観察が終わったので、土塁や石塁を伝ってお城の周りを歩いてみますよー。

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この敷石が案外歩きづらいww
でもこの敷石は日本の古代山城のなかでも鬼ノ城にしかなくて、朝鮮半島でも数例知られるだけの珍しいものなんだって。

ナナメになっているのは雨水が城壁を壊すのを防ぐ目的があるらしいんだけど、このナナメに足を取られる(笑)(笑)


*** おまけ ***

古代山城があったあたりの地図です。

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