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吉備津神社は比翼入母屋造 [ふらり旅・イベント]

一品聖霊 (いっぽんしょうりょう) 吉備津宮、新宮、本宮、内の宮、隼人崎、北や南の神客人 (かみまろうど)、艮御崎(うしとらみさき)は恐ろしや

これは後白河法皇が流行歌を集めた『梁塵秘抄』のなかある今様。
NHKの大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見てる人は、西田敏行サンが演じた後白河法皇の顔が浮かぶかしら?
平安時代に、まさに君臨していた上皇です。今様(現代流行歌)をこよなく愛した人物。

『梁塵秘抄』に出てくるこの今様。吉備津神社は大和に対する深い怨みを抱いた恐ろしい怨霊が祀っていると、当時の人々は歌ってたのですよ。
一品っていうのは吉備津神社が大和朝廷から一品の位を貰ったということ。吉備津神社はいろいろあって、神階が第一位の位になってるのだ。(理由は長くなるので割愛w)
聖霊は精霊で浮かばれない霊のこと。

そんな怨霊を祀る吉備津神社。現在見ることが出来る本殿・拝殿(国宝)は室町時代応永32年(1425年)に再建されたもの。比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり) と呼ばれる建築様式で、この吉備津神社にしかない様式なのだ。そんなわけで「吉備津造」とも言われるよ。

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ベンチに座って、しばし本殿・拝殿を眺めます。
「比翼」っていうのは二羽の鳥が互いにその翼を並べることだよねえ。此処にはふたりの吉備津彦が祀られているんだろうか。どうなんだろう……

梁塵秘抄がまとめられた平安時代末期には怨霊が祀られてると歌われていた吉備津神社も、今じゃ御祭神は吉備の鬼を倒した大和の英雄(?)吉備津彦命ってことになり、よく分からなくなりました。
拝殿で初めましてのご挨拶をしたあと、なんとなく立ち去りがたく、「あなたは何者ですか」って心の中で尋ねちゃいました。

いま、こうやってブログを書いていてふと思った。
もしかしたらこの問いかけをしたからこのあとのことが起こったのかな〜って(笑)

本当はこのあと、宮内庁管轄の吉備津彦命の墓と言われている中山茶臼山古墳まで行くつもりだったの。でも其処には行けなくなり、違う場所に辿り着いたということは、この質問に対するヒントだったのか?なんてww
「おまえが行くのは中山茶臼山古墳じゃねーよ」なんて言われたのかしら(笑)

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そんなことが起こるとは、このときの私はまだ思ってもいないので、話を先に進めます。

本殿内部の平面図は公式サイトにも載っていて公開されているので拝借。そして2005年に内部公開があった際に参加した人の記事と写真をもとに、本殿に配されている神社を追加してみた。

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薄赤く色をつけた内陣に「吉備津彦命」が祀られてます。
そして薄黄色の中陣に、西笏御崎・東笏御崎が祀られていて、外陣の四隅にそれぞれ乾(いぬい)・坤(ひつじさる)・巽(たつみ)・艮(うしとら)御崎が祀られてるのだ。

ここまでがっつりガードされる内陣の神。すごい意味深よねえ。
この吉備津神社は日本最大級の床面積。出雲大社も大きいけど、その2倍に相当するんだって。

これだけ立派な神社で、大抵は一緒に祀られることの多い日本の最高神アマテラスは一切出てこないってところも、吉備の意地みたいな感じで好きかも。配祀には吉備津彦命のお姉さんだと言われる倭迹迹日百襲姫命(私はモモソヒメと略して呼んでますw)は居るけどネ。箸墓古墳に眠っていると思われている皇女。この辺の繋がりも謎。

さて。本殿のことを考えるのはこのくらいにして、境内の散策を始めますか!
なんと言ってもこの神社は長さ 398m にも及ぶ廻廊が斜面を下るように続いてるのだ。

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どうですか! この景色!

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廻廊の脇に、あちこち参拝するところがあるので順番に参拝していきましょうかね。
戦いに負けた温羅の首が埋まっているという御竈殿の場所も行かないと。

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神事をお願いした人だけしか入れないので、私は中を見ることは出来ないけどね ^^
若い人たちが御神託をうかがうために申込みをしてたよ〜。
(予約は不要。鳴釜神事は約1時間くらいかかるようですよ)


次回の記事で、トラブル発生!?


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