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吉備の中山みちを行く [ふらり旅・イベント]

岡山、吉備王国探訪(?)の旅、続きです。
備前の吉備津彦神社をあとにして、次に目指すのは備中の吉備津神社。

旅日記のときは出番の少ないあおくんの顔を載せておこうね^^

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郵便配達のおじちゃんに教えて貰った道を進んでいきます。

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道のかたわらには水田が広がっていました。
地元の北海道は水田じゃなくて畑の土地。東京でも水田は見かけないので、私にとってはすごく新鮮な景色なのよ。

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しばらくすると民家は消え、山道に入っていきました。吉備の中山に足を踏み入れたかな。この一本道を進んでいけば、吉備津神社に到着するはず。
途中、吉備津彦神社の元宮があると思われる場所に来ました。磐座(いわくら)があるんだそうな。

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吉備津彦神社の元宮と言っても、ここの磐座は吉備津彦命では無いはず。
なぜなら吉備津彦神社は、これから訪れる吉備津神社から神霊を分けてもらったから。吉備国が天武天皇によって備前・備中・備後・美作に分割されたときに、それぞれの国に吉備津彦命を祀ったから。

磐座は神社が建つ以前から其処にあったわけなので、其処に居る神は吉備津彦以外の筈。
公式サイトに書かれている「人間本来の自然崇拝を元となし」「日本民族の根幹精神たる自然との調和―自然界に育み育まれる地球本来の神様」が坐すものと思われます。

磐座がある方を見ると……
鬱蒼としてます。入れる気は全くしません(笑)
こんにちはー!とだけ、心の中で呼びかけてみましたw

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でもね、この鬱蒼とした森の反対側には、写真は撮らなかったけど朽ちたラブホテルがありました。こんな神聖な場所なのに……なんだか寂しい気分になってしまったよ。

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気を取り直して進むぞー!
吉備の中山についての案内板を発見。道は間違えていないと分かって安心^^

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上から見るとこんな形をしているんだねえ。
「中山」の由来は、吉備国の中心にあったからなんだって。この中山には中山茶臼山古墳(吉備津彦のお墓と考えられている)の他にもいくつもの古墳があるの。力を持った権力者が居たことの証。この看板にも『大和の国に対抗しうる大きな力を持った吉備の国』って書かれていました。

さらに進んでいくと、また看板を発見!
吉備津神社までは 0.2km だって。もうすぐだ!

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吉備津神社で参拝したあとは、この看板にも書かれている 1.5km 先の『岡山県古代吉備文化財センター』と、2.2km 先の『吉備の中山(御陵)』にも足を伸ばしてみたいと思っていたの。
(トラブル発生前だから、そう思っていたw)

てくてく歩いてると、道がだんだん開けてきました。
お、事前調査でちょっと立ち寄ってみたいと思っていた場所が見えてきたよ。その場所は『鼻ぐり塚』って言います。

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横穴式古墳の前に、大正14年に創設された牛魂供養の場所なの。
昔は農村で飼われて田畑の耕作労役として頑張った牛。そして最後は人に食べられてしまう牛。
此処は死後残された牛の鼻輪を形見として集めて浄祭する場所なんだって。牛肉好きだからさ、手を合わせておこうかなって思ってたんですよ ^m^

円墳に鼻輪を積んでいるらしいんだけど、そこに行くためには護摩木料100円を納めて下さいとのこと。寺務所と思われる場所に行って「すみませーーーーん」と声を掛けたんだけど、誰も出ない(笑)
2〜3 回声を掛けたんだけど、やっぱり誰も出ないので諦めました。こんな感じの塚があるようです。現在では 700 万を超える鼻輪が納められてるとのこと。

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さあ、いよいよ吉備津神社へ!
石柱に書かれた「官幣中社 吉備津神社」の文字。

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第29代内閣総理大臣、犬養毅の文字です。

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桃太郎のお話に出てくるお供の犬。
当然それは本当は犬じゃなくて人間なわけなんだけど、それが犬養毅のご先祖さん(犬飼健命)というのはわりと有名な話。

このすぐ近くには矢置石がありました。温羅と吉備津彦(このときはまだ彦五十狭芹彦命って名前)が戦ったとき、吉備津彦が矢を置いていたと言われている大きな石だよ。

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さあ、この階段をのぼって北随神門をくぐれば吉備津神社です。
けっこう歩いて足は疲れてるけど頑張るぞ!

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ちなみに境内図はこんな感じです。

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つづく。


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