SSブログ

御岩神社の神仏習合に癒やされたけど… [ふらり旅・イベント]

茨城日帰り旅。御岩神社の続きです。
境内には時代を感じるたくさんの石像が並んでいました。ここの神社は神仏習合の名残が色濃く残っているの。苔に覆われた仏像らしきものが、とっても良い雰囲気です。

IMG_6322.JPG

神仏習合の本地垂迹説。奈良時代に発生したもの。
神様っていうのは、仏様が人の世を救うために姿を変えてこの世に現れたという説です。これがあることによって、日本本来の神様の姿が分かりづらくなってしまったのは事実。縄文の神の源流まで知りたい私からすると、辿り着けないもどかしさがあるんだけど。

でもね。民衆に受け入れられて、供養する気持ちや祈りが込められて、こんなふうに神社境内に置かれる仏様。素直に素敵だなーって思います。「寛政辰七月十二日」って文字が読めました。18世紀だ。

IMG_6320.JPG

この石段を上りきったところに拝殿がありますよ!

IMG_6321.JPG

拝殿を正面からパチリするのは気が引けるので、斜めからパチリです。
ご祭神、国之常立神さんに「はじめまして」のご挨拶をして、次回は奥宮まで参拝しますと宣言してきましたわw

IMG_6329.JPG

苔むした狛犬サンも良い表情でした。

IMG_6327.JPG

拝殿横に、奥宮〜ご神体の御岩山へ通じる参道があります。表参道と裏参道があって、どちらからでもたどり着けるけど、裏参道はちょっと険しいようなので、行きは表参道からがいいみたい。しめ縄が張られ、ここから先は更なる神域だと、身の引き締まる思いです。

IMG_6340.JPG

御岩神社に来る前までは、奥宮へ行くその途中までは行けるかな?なんて思っていたけど、この参道に入る人たちは、ちゃんとストックを持ってトレッキングの格好をしてます。前日は雨が降っていたので、絶対ぬかるんでる場所もあるはず。軽い気持ちで危ない真似はしないでおこう^^

片道一時間かかると看板にも書かれていて、水1000cc は忘れずにお持ち下さいと注意書きもあったから、ちゃんと準備して臨まないとね。それは次回のお楽しみにします。

ここから先は長くなるので、神様の話に興味ない人はスルーしてね^^

*****

奥宮に祀られているのは、アマテラスさんや、その孫のニニギくん。そして立速日男命 (たちはやひをのミコト) という神様です。境内にあった常陸国風土記の看板によると、この立速日男命は、もとは天から降りられて、松沢(今の常陸太田市)の松の木の八俣(枝分かれしたとこ)の上に鎮まったそうな。

この神は祟りが非常に厳しくて、里人が松の方に向かって大小便でもしようものならすぐに神罰が下り病に悩まされることになるんだって。困った里人が朝廷に願い出ると、朝廷から派遣された片岡大連(おおむらじ)が来てくれたそうな。大連っていうのは役職の1つです。

片岡大連は神の前でおごそかに「今おられるところは、民が近くに住んでいるのでいつも不浄でございます。おられるにふさわしいところではありません。どうかこのような地からお移りなられて、高い山の清浄な場所にお鎮まりください」と、うやうやしく申したのです。神は願いを快く聞いてくれて、賀毗禮(カビレ)の峰に移られたそうな。

あら、朝廷が遣わした人に追い出されちゃったのかー。なんか意外だなって、そのときはボンヤリ思っただけだったんだけど。

IMG_6338.JPG

遠くから、この剣が見えたときにゾワゾワしました。
剣を逆さまに、柄の方を下にして差し立てている姿。真っ先に頭に浮かんだのは、出雲の国譲りの場面なのだ。

出雲の大国主がこの国を作って人々は増えていって、それを高天原から見たアマテラスはその国を欲しがったの。遣いを天から送るんだけど、みんな大国主に懐柔されて帰ってこない。アマテラスは最終的にタケミカヅチの神(他の神含む)を送ったのね。そのとき、タケミカヅチの神が柄を下にして差し立てた剣の切り先の上に足を組んで座って現れるのだ。その剣に見えちゃったのよ。

近づいて見ると、「八大龍王神」と「不動明王」を祀った場所だったから、タケミカヅチの神は関係ないのかと、ちょっとだけ安心しつつ、でもタケミカヅチの神は鹿島の……中臣氏(のちの藤原氏)の氏神だよなあ。茨城の鹿島に拠点があるから近くなんだよねーなんて、ちょっとモヤっとしたものは残ったのでした。



家に帰ってきてから、奥宮に祀られている立速日男命 (たちはやひをのミコト) をカビレの峰に送った片岡大連がどんな人物かあちこち検索して調べたら、

「中臣鹿島連の祖・片岡大連(国摩大鹿島命の孫)が朝廷より派遣されて祭祀させたと見える」と Wiki に書かれてる!!

中臣鹿島連の祖だったのか!
中臣か!

途端に立速日男命 (たちはやひをのミコト) は神と書かれているけど、実在した人物なんだろうと容易に想像でき、ドロドロした世界が見えてきたよ^^;
常陸国風土記も、うま〜い具合に事実を朝廷側に都合の良い書き方にされていると思われる。

どうやら常陸国風土記は、茨城県のホームページによると、香島郡の記述に力がこめられているらしいので、中臣さんの権力がバッチリ出てるんだろうな(笑)
※ でも東国で唯一残った風土記だから、当時の東国の状況を考える上で欠かせない文献

あの剣を見てタケミカヅチの神が浮かんでゾワゾワしなかったら、きっとここまで調べなかった。深みに嵌まったわw


nice!(80)  コメント(31) 
共通テーマ:アート